「すべての命を助けるのが正しいのでしょうか」
「救急医療の量と質、ともに維持するのは厳しい」
現場の医師からも、救急患者の増加に悲鳴があがっている。
「ほとんどの救急医は、人の命を救いたいと思ってこの仕事をしています。しかし厳しい言い方ですが、すべての人間の命を助けることが是なのでしょうか」
この医師は、今のような救急医療の考え方では、近いうちに「崩壊」するのではないかという。「今のような」とは、30代の働き盛りも、90代の寝たきりの高齢者でも、同じパワーで命を救うことを意味する。
「私たちの救命救急センターでは、年間1億円以上の補助金を国から受け取っています。その資源、つまり医師もお金もすべてを平等につぎこむことが正解なんでしょうか」
そもそも救命救急センターとは、文字どおり重症患者の「命を救う場所」で、救急医療のなかでも「最後の砦(とりで)」といわれている。その現場で働く医師から、このような言葉が出てくるほどに、救急医療の現状は悲惨なのだ。
救命救急センターが各地に登場したのは、高度経済成長期の頃だ。1970年、交通事故の死者数が年間1万6,000人を超え、日清戦争での戦死者数(2年間で約1万7,000人)を上回り、「交通戦争」の時代と呼ばれた。交通事故に遭う歩行者が激増し、重症外傷の患者の搬送先が決まらないことが問題になった。
こうした状況に対応するため、1977年、これらの救急患者を専門的に受け入れる施設を「救命救急センター」として特別に整備するシステムが登場した。当初は人口100万人あたりに1カ所を目標として整備が進められたが、現在ではおおむね人口45万人あたりに1カ所が整備されるに至った。全国に289カ所の救命救急センターがある(2018年9月時点)。
昭和から平成に入ると、徐々に交通事故が減少していく。実際、救急搬送のうち交通事故が占める割合は、平成元年には24.3%だったが、平成の終わり、29年には7.6%となっている。
こうした状況の変化とともに、救命救急センターの主な役割は「外傷」への対応から、心筋梗塞やくも膜下出血など、働き盛り世代に発症しやすい「疾病(しっぺい)」への対応に移っていった。具体的には、心肺停止状態にある患者に対して、人工呼吸や心臓マッサージ、電気ショックなどを与えて蘇らせる「心肺蘇生」の措置が柱になっていく。
意外に思われるかもしれないが、平成になってまもない頃は、救急車のなかで心肺停止状態の患者に対して蘇生措置をすることができなかった。
しかし救急救命士法が1991年に成立し、それまで「運び屋」だった救急隊員も、心肺蘇生の措置ができるようになる。ひと昔前ならば絶望的な状況であった命も助かることが稀ではなくなってきた。
(『救急車が来なくなる日:医療崩壊と再生への道』から一部転載)