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 中学時代から活躍し、入学当初からレギュラーメンバーに選ばれるスター選手だった姫野。一方、学校生活でも他の先生から『要領よくやっている』と言われるような評価で、赤点を取るようなこともなかったという。そんな彼に、恩師が高校の3年間にわたって言い続けたのは“謙虚”でいることの大切さだった。

高校時代の姫野(前列左端、卒業アルバムより) ©文藝春秋

「ラグビー以外では姫野にこんなことを言いました。『人の話は聞かなきゃ損だからな』と。話を聞くためには、まず相手に話をしてもらわなくてはいけない。そこで必要なのは、謙虚な姿勢と態度だと。謙虚じゃない奴に誰もアドバイスはしてくれない。『お前は表舞台に立てる人間だから、常に鏡を見て自分を確認しなさい』と、口酸っぱく言いました。だから、いま記者さんやテレビの人に姫野選手はどんなにしんどい時も質問に答えてくれて、笑顔で対応してくれるという話をきいて、とても嬉しく思いますね」

選手たちに語る宮地真監督(中部大春日丘高グラウンド) ©文藝春秋

全治1カ月のはずが翌日復帰

 一番思い出に残っているのは、姫野の尋常じゃない「ケガの回復力」だと語る。

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「高校3年のとき、姫野は足の内側の靭帯を痛めて完治まで1カ月くらいの重傷を負った。それが、翌日にはテーピングをして『これでいけます、先生。昨日と全然足の状況がちがいます』と。それで実際にいつものようにプレーできていたんですよ(笑)。今回のW杯でも、スコットランド戦前にケガで欠場するかもしれないという報道がありましたが、欠場せずに済んだのは、前向きな気持ちと、あの回復力でグラウンドに立つ努力をしたんでしょう。

スクラムに入る高校時代の姫野 ©清水良枝

 ただ、痛みに強い分、我慢できてしまうから高校卒業前には足の甲の疲労骨折をしてしまいました。体重の負荷が掛かってしまう箇所で、帝京大学に進学しても完治せず、腰の骨を移植する手術をした。大学に入学した当初も試合にも出られなかった。

 心配していたら、帝京大の岩出雅之監督から『足が治っても、この子は将来があるので無理はさせません。出場させても試合の半分だけにします。近い将来、日本代表に入る選手ですから』と。姫野は選手層の厚い帝京に進んで本当によかった。選手の少ない他の大学だったら、無理して試合に出ていたかもしれません。そして姫野自身も大学へ行って成長しました。あいつのメールの文章も、それまで『こんばんわ』だったのが、『こんばんは』になったり(笑)。しっかりした言葉を使うようになって、岩出監督からちゃんと指導を受けているなと感心しました」