「宇宙人が乗ってきてるかもしれないので、空を見ましょうよ」
―― 『11PM』では「好きなものやっていいぞ」と言われたそうですが、矢追さんはなぜUFOだったんですか?
UFOをやりたいと思ったわけじゃないんだよ。何をやってもいいと言われたから、何しようかなと考えたんだ。その頃、僕が気になっていたのは、日本人ってどうしてまっすぐ歩くのかなということだよ。どこ行くにしても、前をまっすぐ見つめたまま、わき目もふらず歩くじゃないですか。バタバタバタバタ。ゾンビみたいだなと思った。よその国の人はもっとブラブラ歩いてるよ。僕は、バックパッカーで世界中を旅行してたから、大体知っているんでね。日本人は、多分精神的に余裕がないんだろうなと思い始めた。社会全体がこの状態だと日本はいずれ煮詰まるぞ、と。だから、たまには立ち止まって空を見ろよ、という番組にしようと思った。
―― その頃は高度成長期で、日本中が前ばかり見ていた時代ですもんね。
今でもそうじゃない。立ち止まって空を見たら、東京といえども空間が広いじゃないですか。そうして、「僕ってなんでこんなことにクヨクヨしてるんだろうな」ってことに気付いて、心の余裕を取り戻してほしいなと思ったんです。会社がつぶれたら首をくくろうなんて、そんなことないんだよ。会社捨ててどこかへ行っちゃえばいい。家族もみんな捨てて行っちゃえばいいんだよ。死ぬことを考えればね。で、また帰ってきて働けばそれでいいじゃんね。
―― ということは、UFOを探すことが目的ではなかったんですね。
空を見る番組というのは、エンターテインメントとして面白くないじゃない。星座を解説してもしょうがねえだろうと。そう思っているうちに、本屋でふと目に入った本に「空飛ぶ円盤」って書いてあったのね。当時、UFOなんていう言葉はないよ。あれは僕が流行らせたからね。パラパラ読んでみたら、宇宙人が来てるらしいと書いてある。それで、「宇宙人が乗ってきてるかもしれないので、空を見ましょうよ」という番組を作ったわけ。
―― 不思議に思ってるんですが、その後、ユリ・ゲラーやネッシーといった番組を次々と企画されてますよね。どうやって情報を集めたんですか?
向こうから勝手に情報がやってくるんです。アメリカとかイギリスとかロシアとか。ネッシーは僕は単独で3回くらいやってますね。UFOの番組にしても、まず企画書というものを出したことがない。そんなものを出すと働かなきゃならないからね。僕は怠け者だから、働くのが嫌いなんです。だから、なるべく目立たないようにして、会社にもあまり行かない。ホワイトボードに「宇宙遊泳中」と書かれたりしてね。
―― ハハハ。社内でも宇宙人扱いだったんですね。そうはいっても、数々の特番を作られてますよね。いつ仕事をされてたんですか?
あるとき、上司が「お前、給料もらってるんだろうな」って言ってくるんです。「そろそろ働け」「分かりました。何しましょうか?」「まあ、視聴率いいからUFOにするか」「そうですね。いつにしましょうか?」「オンエアは10月2週目の木曜日な」となるんだけど、それでも放っておくんですよ。そうすると、どこかから情報が入ってきて、ひらめくというと聞こえがいいけど、やる気になる。
―― スイッチが入るわけですね。
そう。それで、取材スタッフを連れて海外に行くんだけど、僕は、自分も入れてスタッフを5人以内にしてあるんです。それ以上になると車1台で入りきらないから。で、自分で運転するんです。出発して、目的地の近くに行ったぐらいからカメラを回し始める。道中も探してるところもドアをノックするところも、全部回す。相手は素人だから、部屋に入るとそのまますぐにしゃべり始めるでしょう。それも全部撮ってるんです。今のテレビって、最初に話を聞いておいて、「こことここが面白いので、また聞きますから話してください」ってやるじゃない。だけど、初めてしゃべるところを撮る方が、迫力が違うんだよ。
―― たしかに、それだと段取りになってしまいますね。
話してる方も二番煎じ三番煎じだから、バカバカしくてというのが顔に出ちゃうわけだね。それで通訳まで入れるから、さらに話がめんどくさくなる。僕は一切通訳を入れないし、コーディネーターも入れない。それこそ飛行機の手配まで全部自分でやるんです。一人で、ディレクター・プロデューサー・通訳・コーディネーター・ドライバー、全部兼ねてるんだよ。そうやって1カ月ぐらいいると、『木スペ』3本ぐらいは撮りますね。だから、会社には貸しだと僕は思ってる。