僕らは日々、誰かに何かを伝え、誰かに何かを伝えられ、印象を受ける。また、何かを見て、聞いて、知って、考えて、印象を持つ。何が白か、何が黒か、何が正義で何が悪かを、その印象で判断していく。この世にたった1つの真実なんていうものはなく、地球総人口約72億個分の主観、それぞれの真実しかない。それを僕らはせっせと擦り合せる。近しい意見や感性を持つ人に好印象を抱き、その逆の人には悪印象を受ける。でも、そんな悪印象を受けた人の“意外な一面”なんかを知って、思い直したりする。逆に、好印象を持っていた人の“裏の顔”なんかを知って衝撃を受けたりする。そんなものなのである。同じ景色を「綺麗だ」と言い、同じ料理を「美味しい」と言ってくれた人を好きになり、その人の自分と異なる部分ですら愛したくなり、『隣の世界』も『同じ世界』だと思えてくる。逆に、信頼しまくっていたあの人の裏切りや裏アカウントや裏取り引きが明らかになり、そこで体感する『隣の世界』の圧倒的不透明さに愕然とする。そんなものなのである。その擦り合わせのくり返しのくり返しだ。そんな風に、朝井さんの作品にはいつも、『世界の正体』という本質的な表現が宿っている。
こういう、俯瞰を多分に踏まえた主観という視点は人に伝えにくい。あと、生きにくい。視点を武器にしながら、視点に怯えている。僕も朝井さんと同じタイプの人間なのですごく分かる。そして、こう言っている側から、『すごく分かる』 とはなんて曖昧な表現なんだと考えてしまう。『すごく分かる』の、『分かる』の部分についてを説明したくて仕方なくなってしまう。朝井さんと同じタイプの人間だなんて、僕の抱いた印象にすぎないからだ。すべてが、メタで、メタメタなのだ。朝井さんもきっと、そこで戦っているのだと思う……信じたい。
本当はまだ、男性作家ながら女性主人公の作品が多い、朝井リョウという作家の謎の女子力の高さについても語りたいのだが、それはまた、別の機会に。