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「墓場まで持っていく」

「初めて子どもに授乳して乳首を吸われたとき、ああ乳首はこのためにあったんだと感じました。広河の呪縛から少し解放された気がしました」(翔子さん)

 現在の翔子さんは一見、過酷な性暴力を生き延びてきたことを感じさせない。笑顔は明るく、物腰は柔らかだ。被害について語るときも落ち着きを失わない。「優しい夫と子どもたちに救われています」と翔子さんは話す。

 広河氏の性暴力にあったことは「墓場まで持っていく」と決めていた。実際、これまで誰にも話したことはなかったという。

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 昨年暮れ、子どもを寝かしつけた後に布団に入ったまま携帯電話でニュースを読んでいると、広河氏を告発する本誌記事に目が止まった。性暴力の被害を受けた女性の話に涙が止まらなかった。封印していた記憶が翔子さんの奥底からあふれ出した。

「2週間毎日レイプされた」

「逃げたくても彼を頼るしか無かった」

 携帯画面に打ち込み、送信した。「0時14分」という受信記録が本誌編集部に残っている。

 自分でもなぜかわからなかったが、広河氏と行った海外取材の関係書類を捨てずに持ち続けていた。翔子さんは「広河を訴えたいという気持ちは、意識しなくなっていましたが、消えることはなかった。いつかこれが役立つ日がやって来ると感じていたのかもしれません」と話す。

海外取材前に広河氏が書いた身分を証明するメモ

 一月上旬、私の取材に応じた翔子さんは、当時の日程表やビザの申請書類、パスポートのコピー、広河氏の手書きメモなどをバックパックから取り出し、私に渡すとこう言った。

「差し上げます。適当に処分してください。あー、これでやっと手放せます」

◆◆◆

 翔子さんの証言を、広河氏はどう受けとめるのか。

 広河氏に質問書を送信し、携帯電話にメッセージを2回残し、催促のメールも複数回送って6日間待ったが、返事はなかった。代理人の森川文人弁護士にも質問書を送ったが、なしのつぶてだった。

 前述の毎日新聞では「『性行為の強要』については、女性との間に合意があったと認識していました」と述べている広河氏。本当にそうした感覚で翔子さんたちに性暴力を振るっていたとすれば、彼の心の闇はあまりに深い。