「屈辱は力になる」が座右の銘
阿部 ところで、夢枕さんは、読者の声は気にしますか?
夢枕 気にはなるけど気にしないようにしてます。やっぱり、パソコンを始めた頃はネットで自分の評判を見たりしましたね。40年も書き続けていると、昔からの読者が「最近の夢枕はダメだ」なんてことを書く。こういうのは読まないほうがいいんだけど、読んじゃったらしょうがないから、その時は「お前、ほんとは俺のこと好きなんだろ」って思うことにしています。「俺が思うようにならないから、お前、そんなにイライラして」って(笑)。僕はもう66歳ですよ。あのボルトだって、引退して、9秒台じゃ走れなくなるんだから。作家も筋肉労働ですから、20代、30代のときのように脳の筋肉が発動しなくなる。これは自覚症状としてありますね。『餓狼伝』(双葉社)と『キマイラ』(朝日新聞出版、KADOKAWA)は30年くらい書いてるんですね。世界で一番格闘のことを書いたのは僕だと思ってるんだけど、書くたびに新しい勝負のパターンを考えるのも大変なんです。でも、そこがおもしろい。新しいことを思いついた時は嬉しくて、一人でガッツポーズしたりしてね。阿部さんは、読者の感想は気にするの? ネット見たりする?
阿部 レビューなどはやはり見てしまいますね。まだ稚拙な部分があることは自覚しているので、参考になる意見があると、素直に受け入れるようにしています。でも、完膚なきまでにけちょんけちょんにされると、戦闘意欲を掻き立てられてしまいます(笑)。
夢枕 その戦闘モードをバネにするしかないよね。負の感情のほうがバネになるから。
阿部 ええ。「屈辱は力になる」っていうのが私の座右の銘なんです。そういう屈辱を、後々までクリーンエネルギーとして使おうと思っています。
夢枕 僕は、数十年間使ったことがありますよ。23、4歳の頃、自転車に乗ってたら男に呼び止められて、そいつが「小田原の山王まで連れて行け」っていきなり自転車の後ろに乗るんだよ。降りてくれと言ったら後ろから頭を殴られて。これは“怖い人”だなと思って、そのまま自転車漕いで交番に行ったら、お巡りさんがいない(笑)。しかも、男が見せつけてくる手に指が一本無いわけ。「お前もこの意味が分かるだろ」って言われて、「分かります、すいません」って謝っちゃって。これは結構いい燃料になって、ヤクザを容赦なく叩きのめすシーンを書くときに思い出してます(笑)。阿部さんは、いい燃料は?
阿部 私、「屈辱ノート」をつけているんです。小学生の頃に、頭にきたことと嬉しかったことを記録するノートを作ったんです。一番古い記録を見てみたら、親戚のおばさんたちが集まった時に「○○ちゃんは頭がよかったのに、お前はねぇ」と言われたことを書いていました。「小説家になって、いつか大きな賞をとるんだから!」と言い返したんですけど、「でも、お前は普通の子よね」と言われて、頭にきて、勢いのまま書きました。
夢枕 その頃につけてたってのがすごい。それはネタ帳になるね。
阿部 もう一つ忘れられないのが、小学6年生の国語のテストでバツをつけられたことです。そのバツが納得できなくて先生に質問しても、まともな答えをもらえず、友だちにも「お前の読み込みが足りないんじゃないの?」なんて言われて。今からするとたいしたことじゃないのですが、当時としてはものすごく屈辱的でした。今でもそのテストの答案はとってあって、「やっぱり間違ってない」って確認するんです。
夢枕 ハハハ。そりゃあいいな。
阿部 小学生の時は劣等感が強かったんです。算数がすごく苦手で、分数の概念がどうしても理解できなくて。周りの子たちも、なぜ分数の掛け算で分母と分母、分子と分子を掛ければいいのかというのは理解していなかったと思うんです。でも、「こいつは困ったヤツだ、頭が悪い」ってさんざん言われて。
夢枕 そのノート、今もつけてるの?
阿部 たまにつけてます。でも、劣等感は、大学に入って落ち着きました。
夢枕 それが今の作家・阿部智里を作ったと思えば全然OKだよね。
阿部 はい。それに、辛かった頃も、必ず理解してくれる恩師や友だちがいてくれたし、両親がずっと味方になってくれたのも大きかったです。よく“松本清張賞最年少受賞”と言っていただくのですが、これは、それだけの協力があったからできたこと。そこは勘違いしないようにと肝に銘じています。
夢枕 それは素晴らしいことですね。
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この対談は、夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズ最新作、阿部智里さんの八咫烏シリーズ外伝「すみのさくら」とともに、「オール讀物」7月号(6月22日発売)に掲載されます。