きょう7月9日はミュージシャンの細野晴臣の70歳の誕生日。1969年、エイプリル・フールのベーシストとしてデビューした細野は、70年代以降、日本語ロックの先駆となったはっぴいえんどや、テクノポップで世界を席巻したYMOなどのバンドで活躍するとともに、ソロやプロデュース活動を展開。80年代には松田聖子や中森明菜などアイドル歌手にも楽曲を提供し、ヒットさせている。

 生まれ育ったのは東京・白金。父方の祖父が遭難したタイタニック号の生存者というのはわりとよく知られた話だが、母方の祖父は腕利きのピアノの調律師だった。少年時代は、家の隣りに住む祖父の調律する音を聴きながら毎日遊んでいたという。自身もピアノを母親から「無理やり」に習わされたとか(北中正和編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』平凡社ライブラリー)。また、家にはSPレコードがたくさんあり、映画音楽や歌謡曲などさまざまな音楽に親しんだ。小学校高学年になると、姉の影響からプレスリーのロックンロールも聴くようになる。

 YMOのメンバーのひとり坂本龍一は、てっきり細野はドビュッシーやストラビンスキーを学んで、はっぴいえんどなどでの洗練された音楽をつくっているのだと思っていたが、実際はそうではなくて驚いたという。東京藝大卒の坂本がそう勘違いするほど、細野のなかでは欧米の音楽が血肉化していたということだろう。その後、細野は、ロック・ポップスにとどまらず、世界中の民族音楽などからもさまざまな要素を採り入れながら、独自の音楽を生み出し続けている。

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2007年、京都・東寺で行われたYMOのコンサートの様子(左から坂本龍一さん、高橋幸宏さん、細野晴臣さん) ©AFP=時事

「『年をとるのは楽しいよ』ってことを声を大にして言いたい」とは、細野が60歳になる直前の発言だ。このとき、芸能は老人になればなるほど味が出るとの持論から、「ロックも今後、そういう風になっていく可能性がある」とも語っていた(細野晴臣・鈴木惣一朗『細野晴臣 分福茶釜』平凡社ライブラリー)。ちなみに落語好きの彼は少年時代、桂枝太郎(二代目)というよぼよぼのおじいさんの落語家がとくにお気に入りだったという。70歳を迎え、自身もすっかりおじいさんらしい風貌になった細野は、どんな味のあるロックを聴かせてくれるのだろうか。