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たけしと何が違うのか――コントで勝負した志村けんは、最後の世代の「喜劇人」だった

2020/03/31
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90年代以降、たけしの戦い方が主流になった

 端的に言ってしまうと、たけしが展開したイメージの多層化、つまりテレビ的な平板な記号としてではなく、生身の人間としてのリアリティ・奥行を感じさせる重層的なキャラクターの構築こそが、90年代以降の日本のテレビ・コメディアンたちの手本となっていった。

 いま現在メディア上で活躍する芸人の殆どが、漫才やコントなど「ネタ」以外での自分の内面や趣味、嗜好を商品として売り込んでいる。80年代以降、テレビがお茶の間から更に深く、家族それぞれの個室にまで入り込んでいったプロセスのなかで、たけしが体現した戦い方こそが最適解だったのだと思う。 

 志村はもちろん90年代以降もテレビで活躍したが、基本的に彼は「たけし以前」のテレビ・コメディアンだったのではないか。

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2014年、「変なおじさん」姿でJリーグの試合に登場した志村けん ©getty

 志村が50~60年代のジェリー・ルイスや20~30年代のサイレント・コメディやマルクス兄弟のファンであったことはよく知られており、彼はしばしば自らのテレビ・コントにそれらのコメディ映画でのギャグをアレンジして落とし込んでいた。志村がやりたかったこと・やれたことの本質は恐らくそういう古典喜劇映画のテレビ的な翻案作業にあり、それは例えばスパイク・ジョーンズの日本的解釈であったクレージー・キャッツらが編んでいたコメディ系譜の最後尾に位置するようなものだったと言えるのではないだろうか。

 彼は80年代以降のたけしのような「メディア・スター」ではなく、70年代までの「喜劇人」の最後の世代の人だった。メディア上で自らの人間性の奥行を商品にすることを、志村はしなかった/できなかった。