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連載昭和事件史

2020/06/21

(1)    風紀頽廃
(2)    部落民の自警心の欠けている点
(3)    凶器の種類及び入手の容易なる点
(4)    地理的関係(僻陬地=片田舎=たりし点)

「自殺 精神病理学的考察」は「客観的諸要因」のうち風紀頽廃は「部落の人たちは全面的にこれを否定している」、「特に指摘されるほどの乱れはなかったようである」とし、その他の項目についても「彼が殺傷事件を起こさねばならなかった原因ではない」と断言した。さらに、主観的原因3項目のうち、(2)は「殺人の動機というより、むしろ自殺しようと考えるに至った動機とみるべきであり」、(3)も「離反した女を殺害する動機であっても、33人殺傷の動機ではない」と断じた。(1)についても「原因・動機に密接に関連することではあっても、原因・動機そのものではない」とした。

 そして、第5の客観的原因として睦雄の性格と心理構造を取り上げている。「大量殺人者であった彼は、決して残忍性がその根本的な性格・特徴をなすものではない」と強調。「彼の犯行後の遺書は強い罪悪感で満たされており、憎しみよりもそれが強く強調されているのを見ても、冷酷無情な性格が彼の性格の根幹では断じてない」「むしろ繊細な、情味ある、神経の細い性格の持ち主を想起する方がよほど自然である」と主張した。さらに「一貫して彼に支配的に作用したものは、長い間悩まされ、脅かされ、しかも克服されない肺結核に対する不安の感情である」「彼の生涯は全て結核との闘いであり、屈辱・不安・絶望の連続であった。この慢性的な体験刺激が、彼の先天的な性質と相まって、彼の性格・精神現象に大きな影響を与えたものと考えられる」。

「自殺 精神病理学的考察」は最後に、「冷たい目で見られ」「悪口を言われ」「嫌悪、白眼視され」「憎しみさげすまれ」「つらく当たられ」るのは全て肺結核のためだと考えたとすれば、それは性格特徴からの妄想的固執傾向だと指摘し、こう結論づけた。「彼が肺結核に対して長い間、激しい抵抗を感じており、それに関連して関係妄想が発展し、遂には極めて苦しい内的葛藤のもとに自殺を決意し、道連れ的大量殺人事件に移行したのである」。これが事件の全てを解明する答えではないが、傾聴に値する意見だろう。事件直後からこれまで、こうした見方がほとんど顧みられなかったのには理由がありそうだ。

都井睦雄(「津山事件の真実」所収「津山事件報告書」より)

「自分が決行しようとする犯罪との間に、常にある葛藤があった」

「自殺 精神病理学的考察」も指摘しているが、睦雄の3通の遺書には国家や時代を意識した記述がある。「小さい人間の感情から一人でも殺人をするということは、非常時下の日本国家に対してはすまぬわけだ」(自宅に残された宛て先のない遺書)。これについて「津山事件報告書」に収録された「三つの遺書に現は(わ)れた犯人の倫理観」で林隆行・岡山地裁検事局思想係検事は、「犯人のどこかに、国民的道徳がメスのようにではないが光っていて、自分が決行しようとする犯罪との間に、常にある葛藤があったことだけは確かである」と評した。姉宛ての1通には「こういうことは日本国家のため、地下にいます父母には甚だすまぬことではあるが……」、「同じ死んでも、これが戦死、国家のために戦死だったらよいのですけれども、やはり事情はどうでも大罪人ということになるでしょう」という部分も見られる。林検事はこれを「犯罪史上稀有の大罪人といえども、生を皇道日本に受くる以上、国民的感情に捉われずにはいられないのである」とした。