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「夕方には女とポン引きだらけでまっすぐ歩けなかった」なぜ寂れた離島が“ヤバい島”になったのか?

『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』#3

2020/09/20

元警察官が置屋の経営者だった

 1983年当時の渡鹿野島には、置屋十数軒、ホテルや旅館が10軒ほど、他にも商店、飲食店、はたまたゲームセンターまで建ち並んでいたのだと、ここへ歩いてくる途中で佐津間さんが昔話をしてくれた。

 同行してもらったのは、他でもない。佐津間さんは当時、“売春島”にあるうどん屋の2階を寝床にしていた。そのうどん屋の店主を訪ね昔話を聞かせてもらうためだった。

 しかし、既にその店は跡形もなくなっていた。また佐津間さんが顔なじみだった住民たちに話を聞こうと訪ね歩いたが、既に亡くなっているのか誰とも出会えず、それも叶わなかった。

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島の船着き場付近(著者提供)

「スナックは『恋の坂』、ホテルは『つたや』……島の、ほとんどの商業施設のクロスを張りましたわ。いつからあったかは知らんけど、既に老朽化しとって、その建て直しやリフォームをしたんですわ。

 元々はね、四国の人間が多いんです。どういうわけか、四国の人間が移り住みスナックやら置屋やらの商売を始めたんですわ。大将のKさんはもう亡くなりましたけど、『恋の坂』などみんなそうですわ。そのKさんなど、売春で稼いで金を持っとる四国から来た商売人が、島の人らによくお金を貸しよった。そのカネでみんな、各々商売を始めてね。それでこの島は発展したんですわ」

「その四国の人らはヤクザなのですか」

「いや、カタギの人らです。でも裏で繋がっとりますわ。特に『つたや』さんは、島では有名な顔役でね、よくA組が出入りしとった。ヤクザは……やっぱりA組が多かったね。島で商売しとったA組の姐さんが確か、三重県内で飲食店を経営してるはずや。置屋を経営しとった寒川(仮名)という男も、元はA組の人間ですわ」

売春婦たちが暮らしたアパート(著者提供)

 Xが言っていたように、やはりA組が暗躍していたのだ。佐津間さんが続ける。

「でも、元々の地元の人らは悪いことをしていませんでした。ただ食堂とか喫茶店、居酒屋、旅館、渡し船……売春目当てで来る客たちのために周辺産業で置屋に協力しただけでね。

 それと、『つたや』の旦那は元、鳥羽署の警察官やったね。名前は確か、芥川さん。奥さんは置屋の経営者で、芥川さんは30年近く前、そのママとネンゴロになって、その後、『つたや』を開業したんですわ」

 僕は色めいた、これまでの取材成果が点と点で結ばれようとしていたことに。佐津間さんが言う、三重県内で飲食店をする姐さんは、状況からして、Xが言うA組の姐さんと同一人物だろう。単なる噂だと思っていた元警察官の男は、芥川という名前でしかも、実在していたのだ。そして、Kさんを始めとする、四国からやってきた面々。

 その昔、なぜ彼らはこの島で商売を始めたのか――。