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「夕方には女とポン引きだらけでまっすぐ歩けなかった」なぜ寂れた離島が“ヤバい島”になったのか?

『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』#3

2020/09/20
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パチンコ屋、ギャンブル場もあった繁華街だった

 1979年にはそれらが増えているばかりか、パチンコ屋『デンスケ』という記述も見られた。さらに1996年にはパチンコ屋がなくなり、代わりに『S』『H』など置屋と思しきスナックが乱立していた。さらに商店、喫茶店、美容院など商業施設が格段に増えている。

 その状況は2000年代初頭まで変わらず2003年、『わたかのパールビーチ』がオープン。そして2016年、多くの宿泊施設が廃業し、置屋も数軒残るのみとなっていた。

 この作業により、島の遍歴が朧げながら見えてきた。まず、パブやスナックを装った置屋ができたのは1970年代のこと。それまでは、宿泊施設はあったものの、寂れた離島だったということだ。

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コンパニオンを指名するのが“売春島”の宴会システムだったという(2005年、著者提供)

 1980年代に入ると、パチンコ屋が出現するなど飲み屋とギャンブル場が混在する繁華街の様相になる。以降、1990年代にかけて置屋が乱立し、文字通り“売春島”の様相に。ホテルなど商業施設もスクラップ&ビルドを繰り返していた。

 佐津間さんが内装業者として島に関わっていたのはこの時期で、彼の証言では、今から30年前には既に老朽化したホテルやスナックが多く、佐津間さんはその建て直しやリフォームを任されていたという。時代はバブル真っただ中だ。この島も、熱海や伊香保などの有名温泉街同様、好景気に湧いていたと予想できよう。

 それにしても、こんな小さな島にもパチンコ屋まであったとは驚きだ。それほど島は好事家たちを引き寄せていたのだろう。

 そして2000年代に突入すると、パールビーチが整備されるなど“売春島”からの脱却が進められ、それに反比例するかのごとく、現在に近づくにつれホテルや置屋が廃業していくのである。

売春島~「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ~

高木 瑞穂

彩図社

2019年12月17日 発売

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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