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やはり、説明責任は大事なんですよ

 総長選考のプロセスについては国立大学改革の長い議論の果てに一定の方針が示され、2020年3月に、国立大学のガバナンスコードが文部科学省によって策定されました。要するに、学内の各学部・研究部門の責任者だけでなく学外の経営の分かる人たちも入れて総長を選任して、合理的な経営(マネジメント)を行いなさいということです。

 おカネを集めたり、良い教員を選抜したり、向学心のある学生をかき集めたり、おカネを集めたり、適切な研究環境を整備したり、おカネを集めたり、おカネを集めたりして「ちゃんと大学を経営できる人を選びなさい」「うっかり人気投票をやって、有名なだけのクズを総長にしてはいけません」「そして、対外的に説明できるようにしなさい」という話なわけです。

©文藝春秋

「学⻑選考会議は、法⼈の⻑の選考に当たって、国⽴⼤学法⼈のミッションや特性を踏まえた法⼈の⻑に必要とされる資質・能⼒に関する基準を定め、当該基準を踏まえ、国⽴⼤学法⼈法等の規定に則り、意向投票によることなく、⾃らの権限と責任において慎重かつ必要な議論を尽くし、適正に選考を⾏い、 基準、選考結果、選考過程及び選考理由を公表しなければならない」

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 やはり、説明責任は大事なんですよ。この人事は何故行われたのか。どういう判断で、経営が行われているのか。

 確かに、投票で決めるのであれば「関係者の総意で選びました」という大義名分が立つため分かりやすいのもまた事実ですが、述べた通り大学という組織において関係者全員が投票で総長を選出するというのは人気だけあって能力のない人を選ぶ恐れがあるという点で問題があるからこそ、学外の経営委員や内部委員が集まって合議でその候補者の人物像、実績、おカネを集める能力や経営手腕などを検討するというのは間違っていません。

 一方で、なぜその人が選ばれたのかという理由はきちんと説明されならないのも事実です。ここが明らかにならない限り、そして、その説明された内容で多数の人の納得が得られない限り、組織トップの人事や、団体会員の総理任命の可否なんかは明らかにはできないでしょう、ということです。

納得が得られないと権力抗争の火種が簡単に炸裂

 人事で揉める理由の大半は、この「なんでこの人がこのポジションにいるのか」がきちんと説明されず、多くの人たちの納得が得られない場合じゃないでしょうか。誰もがそのポストに就きたいと思っている場合や、座っていても国からお金がもらえるぞ的なポジションだったりしたら、「何であいつが選ばれて俺が外されるのだ」とか「あの人物はこういう汚点があるのにそんな大事な役職についてけしからん」などという権力抗争の火種が簡単に炸裂するからなのでしょう。

©iStock.com

 翻って、小宮山宏さんや東京大学本部事務局の執拗な宮園浩平さん外しは何なんだ、と見ている側が疑問に思うのも、結果として「厳格な秘密に守られているはずの東京大学総長選考会議の内容が、全部録音されて外部に漏洩され、ご丁寧に発言者別のインデックスまでつけた文字起こしが出回った」からです。小宮山さんサイドにも、どうしても宮園さんを外したいプラチナ構想ネットワーク的な何かがあるのかもしれないし、宮園さんにも学内から声望を集めるにあたっての何らかの医学部系利権の何たらがあるのかも分かりません。本来であれば、有終の美を飾るべき現総長の五神真さんが適切に介入するべきだったと議論が湧き起るのも、この国立大学をより合理的に経営するための「改革」の是非と、そこにいたる透明性と納得性と正統性の問題に尽きましょう。