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監督の分身が主人公に込められている

かっぴー こっから先の話は、物語を作る同業の端くれとしてあくまでそういう目で見てるっていう話です。

淳 うん。

かっぴー 最初に作る作品って、一番自分自身が投影される作品なんですよ。僕が描いてる「左ききのエレン」っていう漫画も、僕は広告代理店で働いてたので、主人公が広告代理店のキャラクターなんですよね。それで、自分が経験した色んな想いとか、後悔とか楽しかったこと辛かったこととか、自分が実際に経験した感情をダイレクトに作品に入れてるんですよ。だから、「ラ・ラ・ランド」が一番最初に作りたい映画だったって聞いたときにピンときたんですよね。これはチャゼル監督の分身が主人公に込められているんだなと思って。

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淳 うん。

かっぴー チャゼル監督はジャズミュージシャンになりたかったんですよ。でも、「ジャズミュージシャンの世界は厳しすぎて自分はなれない」って諦めて映画を撮り始めたんですよ!

ラ・ラ・ランド

かっぴー LAにいる人たちで夢見がちな人達のことをスラングでラ・ラ・ランドっていうんですよ。「ラ・ラ・ランド」ってもし意味を汲み取ろうとするならば「夢見がちなおバカさん達」みたいなそういうタイトルだと思うんです。だから結局これはやっぱり夢の話なんだと思ったんです。

 ラスト、セブは夢を叶えてジャズミュージックのバーをやる、そこにたまたま女優として成功したミアがやってきて2人が邂逅し、その時にあったかもしれない未来を走馬灯のように思い描いて笑顔で別れるっていうシーンで終わりますよね。あれが監督の思いだとしたら、映画の中の恋愛要素は、実は表面をコーティングした砂糖菓子みたいな感じなんじゃないかなと。「ラ・ラ・ランド」は、チャゼル監督がジャズミュージシャンへの夢を本当に諦めるための作品だと思ったんですよ。

淳 決別なんだ!  ジャズとの。

かっぴー 「私はこれからハリウッドで頑張ります。でもあなたのこと(ジャズミュージシャンになりたかった夢)は忘れません」っていう物語だと思って。