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 米騒動の資料を読み漁ったという脚本の谷本佳織は、この歴史的事件が単純な勧善懲悪では割り切れないということに気がついていたのだろう。誰もが知るように富山県は日本最大級の米の生産量を誇る米どころであり、米の値上がりで悲鳴をあげる漁村の主婦たちと同じように、生産者である米農家や問屋もまた富山県民である。

 手が届き、顔が見える場所にいる対立者として石橋蓮司演じる町の顔役や、左時枝演じる米問屋が描かれるが、映画が彼らを打ちのめし、平伏させて運動の勝利を描く構造にしていないのは、彼らもまたシベリア出兵による米需要と、投機による買い占めという大正の資本主義の煽りを受けて値を上げているにすぎないからだ。この映画の悪役はスクリーンの外、政治と経済を動かすはるか遠い帝都東京にいる。

 谷本佳織の脚本は、井上真央が演じる主人公、松浦いとを地元の漁村出身ではなく、農村で生まれ学校教育を受けたあとに漁村の嫁になった女性として設定している。それは主人公であるヒロインの中に生産者と消費者、学問と労働という相反する要素、時に対立する双方の血が流れる人物として描くためなのだろう。そして井上真央の繊細な演技は、その複雑な脚本に見事に応えていく。

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映画『大コメ騒動』予告

 

 主人公のいとは、冒頭からいかにも戦う強い女として映画の中で暴れ回るわけではない。どちらかと言えば内向的で、地元漁村の女たちからは浮き上がりがちな、大正文学少女の面影を残した母親として描かれている。谷本佳織の脚本は、フィクションの中でキレる女を「スカッとコンテンツ」として消費するのではなく、漁村の中にある女性たちの差異、団結へのノイズを丁寧に描くことによって、100年前の事件を現代の女性運動の寓話として描く。そこには一人ひとりの女性が個別に抱えた経済的不安があり、社会的なしがらみがあり、自分の子どもをどうしても守りたいという愛情がある。

 そうした差異を社会運動のために踏み潰すのではなく、一人ひとりの事情を包摂する連帯を探りながら物語は進む。室井滋(彼女も富山県出身である)が演じる強烈なキャラクター、清んさのおばばが、社会主義者然とした男性弁士の政治演説に対して生活者の立場から反撃する場面は、そうした女性たちの運動をあっさりと男性の思想の下に組み込んでほしくないという表現でもあるのだろう。

「怒り」の演技に秘められた引き裂かれるような繊細さ

 井上真央が出演した2018年の映画『焼肉ドラゴン』もそうだった。多くの演劇賞を受けた戯曲を演出家の鄭義信が自ら監督した映画は、南北の政治に引き裂かれ、そして日本社会からも疎外される在日コリアンの一家、どこにも所属できない人々を描く。その一家の次女である金梨花を演じた井上真央が一家のだらしない男たちに怒りを爆発させる場面は、まるで寒い夜を温める炎のように生命の熱を持ってスクリーンに輝いていた。

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 主人公・松浦いとを演じる井上真央は、映画の途中まで怒りを見せない。表層的ではない、大きな深い怒りを映画の中に作るためには、複雑な社会の中で経験する悲しみや不安、矛盾や迷いを物語の中に包摂しなくてはならないからだ。『花より男子』でスターダムに駆け上がったあと、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した『八日目の蝉』など多くの作品でキャリアを重ねてきた井上真央の演技は、この映画の中で揺れ動く主人公の感情を繊細に表現していく。

 身につけた多彩な変化球が決め球のストレートを一層速く見せるように、クライマックスで主人公が早朝の村に呼びかける「かかども、出んか」という蜂起の怒声は、複雑な事情を抱えた漁村の女たちを乗せる大きな船のように力強い。井上真央の演じる怒りは、悲しみや迷い、優しさを吸い込んで、10代の少女の怒りよりもタフな怒りに成長している。