『怖かった』ということを知ったほうがいいのではないか
2月13日には、福島県沖で地震が発生した。気象庁によると、マグニチュード7.3。釜石市の震度は4だった。東日本大震災の揺れほどではないが、多くの被災経験者が、当時を思い起こしたと言われている。
「10年前に引き戻されました。震度は4だったけれど、揺れが長くて、当時と似ていたんです。揺れが長く、そのときの感覚になりました。お客さんの話でも、津波がくると思って高台へ逃げた人もいますし、設置されるはずの避難所の場所まで逃げた人もいました。(東日本大震災の)経験が生きているんだなと思いました。何を持って逃げようかと思った人もいたようです。ただ、10年前に比べて、情報が早くなりました。今回はものすごく早い段階で『津波の心配はありません』と出ましたね」
震災後、片桐さんは、津波教育について、ことあるたびに言及している。現在はどう思っているのだろうか。
「言い方はおかしいんだけど、一番感じているのは、地震がありましたというトラウマがあるとか、津波を見て子どもが恐怖を覚えている、と聞いたりします。でも、それを言っていたら、助からないのではないか。怖いという状況を伝えないといけないのではないでしょうか。子どもに津波の映像を見せたくない親も多いけれど、『怖かった』ということを知ったほうがいいのではないか。そうではないと命を守れない。『てんでんこ』は散り散りになって逃げろということ。昔、津波災害を経験した人がその言葉を残したんです。でも、経験してない人が覚えていない。怖さを知らない。怖さを教えることが必要だと思います」
理香子さんが経験した津波を見たい、という思い
では2月13日の地震で、片桐さんはどう行動したのか。
「俺は、何もしなかったですね。やばい、逃げなきゃいけないという感覚になったけど、そのままでいた。今の自分の命が尽きてもなんの問題もないし、後悔もない。だから動かなかった。(理香子さんが)経験した津波を見たいというのもある。もし、生きていたら? 多分、『(逃げないのは)バカじゃないの?』と言うと思う。でも、あの人がいないから。あの人の経験したことを、苦しかったことを知らずにいるのは、自分の中では許されない。そんな思いをさせてしまったんです。自分が殺したわけじゃないけど、償えない。今でも、自分の責任と思っています」
ただ、当時は、片桐さんは釜石市の市街地にある美容室で仕事をしていた。理香子さんが働いていた鵜住居地区の鵜住居幼稚園までは車で15分ほどだ。当日の震度は6弱。店内のものは崩れていた。他の従業員を帰宅させ、自分のアパートが気になったために、帰ろうとした。店を出ると、アーケードの上に瓦礫が流れてくるのが見えた。家の屋根などが黒い水に押されて来ていた。当時の状況で、なぜ責任を感じるのか。