民主党政権は何がまずかったのか?
――改めて3.11に話を戻しますと、当時は民主党政権でした。自衛隊関係者に話を聞いていくと、当時の政権についてかなり批判的な方も多いのですが、折木さんご自身は、本を拝読するとそこまで否定的ではないのかな、とも感じます。実際はどのようにご覧になっていましたか。
折木 官僚を使うということは、組織を使うことだと思うんです。でも民主党政権は、原発対応などを見ていても、そのやり方がまずかったという気がします。ただ、これは自民党政権であっても、そのときの総理大臣によっては、同じようなことになっていた可能性はあるかもしれません。政権の問題も間違いなくありますが、そこはリーダシップと言いますか、属人的な部分も大きい気がします。
――震災の前年の2010年には、中国漁船衝突事件の船長を尖閣諸島沖で逮捕したのに、すぐに釈放して「政権の迷走」などとも批判されました。そのときも、やはり官僚とのコミュニケーションがうまくいってなかったんでしょうか。
折木 そうした面と、もう一つは国際感覚の問題もあったと思います。外交感覚とか、政治感覚ですね。全体を見て判断するという、そうした見方が欠けていたのかな、と。当事者からすれば、いや、全体を見て判断したんだよと仰るのかもしれませんが。
「大臣には恵まれたと思ってるんです」
――政治とのコミュニケーションで言いますと、折木さんは震災のとき、北澤大臣とは信頼関係があった、よく話を聞いていただけたと、様々なところで書かれていますね。実際に北澤さんは、かなりやり取りしやすい大臣でしたか。
折木 河野(克俊)君がよく言う、「同じ言葉で話せる」関係だったと思います。100%ではないけれど、それにかなり近い感覚でやり取りすることができました。もちろん、大臣には大臣の思いがあるんですが、国民のためにやらなきゃいけないという思いは一つだったので。そういう面では、これは表現が悪いけれど、私はあの震災において、大臣には恵まれたと思ってるんです。
――少しさかのぼりますが、折木さんが陸幕長の頃(2007年3月~2009年3月)は、政権交代前の自民党政権で、かなり頻繁に防衛大臣が代わりましたよね。
折木 そうですね。5人か6人代わりましたね(久間章生、小池百合子、高村正彦、石破茂、林芳正、浜田靖一の計6人)。
――その中で特に印象に残っている方やエピソードなどはありますか。