折木 いや、皆さんそれぞれ個性があって、それまでの経験とか、色んなことをお持ちでしたから。ただ問題なのは、仰ったように、期間が短いというところです。1ヶ月とか数ヶ月で代わってしまうと、大臣がやりたいことも我々はわからないし、反対に自衛隊というものも本当の意味ではわかってもらえないですよね。よっぽど前からつながりがないことには。石破さんは別にして。
――今、石破さんの名前が出ましたけれども、石破さんは安全保障に詳しいという定評がある一方で、自衛隊関係者の中では評価が分かれる印象があります。折木さんはどう見ていらっしゃいますか。
折木 そこの議論には入っていきたくないんですよ(笑)。ただ、自衛隊の指揮官も一緒なんですけど、色んな個性を持った人が2年ぐらいで交代していくことが、組織の活性化につながる部分はやっぱりあります。それを繰り返すことで部隊は強くなっていくんですね。だから、大臣の個性というのも、私は大事にしたほうがいいと思いますけどね。……こんな感じで良いでしょうか(笑)。
「原発の状況について何も教えてくれなかった」
――震災のとき、北澤大臣とのコミュニケーションはうまくいったと伺いましたが、反対に、政府や米軍とのやり取りの中でここはうまくいかなかったな、と思われる部分はありますか。
折木 あのような震災が起きたときには、情報共有がものすごく大事なんです。当時は日米同盟が危ないなどとも言われましたが、それもやっぱり情報共有の話です。具体的に言えば、アメリカは原発の4号機にはもう水がないから、これは最悪だと判断してしまったわけです。それは間違いで、実際には水はあったんですけども、それを言っても彼らは信じなかったんです。それで国内避難だとか、そうした勧告を職員に出してしまった。そうなると、日本では「アメリカはもう去るのか」と、不信感を抱く人も出てきた。だから、危機になればなるほど、コミュニケーションには本当に注意しないといけないんです。
東電と官邸に対しては、頭に来ている部分もありますよ。情報共有と言いながら、最初の頃、原発の状況について何も教えてくれなかったので。ただ、国内の話なんだから、情報は与えられるものじゃなくて、取りに行かなきゃいけないという部分もあって、それについては自分たちもしっかりやれていたのかな、と反省するところがあります。
――そうした点は、3.11を機に変わったのでしょうか。
折木 そうですね。よく司令塔、司令塔って言うんですけど、その人が決断するためには、そこに情報が集まらないといけないんです。だから今はNSC(国家安全保障会議)、NSS(国家安全保障局)になるべく情報が集まる仕組みになっているはずです。そういう面では、10年前と比べて一歩前進しているとは思っています。
撮影=平松市聖/文藝春秋
(後編に続く)