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「死んでも焼かれるのはかなわん」日本に残った最後の“土葬の村”…数々の「奇妙な風習」が意味するもの

――日本に残った最後の土葬村ルポ #2

2021/03/28
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極めつきに奇妙な「野帰りの作法」

 南山城村では、野の土葬墓地から家に戻って来た際にも、極めつきに奇妙な弔いの作法が残されていた。これを野帰りの作法という。

 野帰りから戻った喪主夫人が、玄関前で、空のひしゃくで空のたらいに水を入れる真似をする、という風習である。

 もう少し詳しく説明しよう。喪主夫人が墓から家に戻ってくると、家で待ち構えていた別の近親女性が台所に走り、ひしゃくで水瓶の水を汲む真似をする。女性は空のひしゃくを持ち玄関に走り出て、喪主夫人にひしゃくを渡す。受け取った喪主夫人は空のひしゃくで目の前のたらいに水を入れる動作をする。この一連の動作を3回繰り返した後、喪主夫人ははじめて家の中に入って行った――。

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 亡くなった人と対話しているかのような無言劇だ。『南山城村史』には「家の内から外へ死霊を送り出そうとする『霊(たま)送り』の儀礼でないか」と書かれている。

 この奇妙な作法は、埋葬地から死のケガレを家に持ち込まないための、厳重な封鎖作法とも考えられる。そうした民俗の報告例も数多い。

 例えば兵庫県宍粟郡の村での民俗学者の報告によると、野帰りした遺族は玄関に置かれた生米と塩を入れた盆から、米を掴み少しずつかみながら家に入っていくという。この論稿の筆者は「生米をかむというのは(中略)死者にひっぱられようとしているのを生米の力で(中略)断絶させようと考えた」と結論している。

有数の土葬地帯

柳生の里、下柳生町(筆者撮影)

 この南山城村の聞き取り調査をきっかけとして、私の土葬・野辺送り調査は一気に進展した。同村からさほど遠くない、奈良盆地の東側山間部一帯に、土葬が広範囲に残っていることを見出したのである。

 そのエリアの中心に、柳生の里があった。剣豪の里で有名な柳生の里は、近鉄奈良駅から東へバスで約1時間のところにある。2014年、聞き取り調査をした結果、まだ土葬が残っていることを発見した。