6、7年前頃から始まった「変化」
――そして、そういうものがちゃんと批判される世の中でもあるという。見過ごされなくなったというか。そういう変化は感じてらっしゃいますか。
北村 そうですね。私の領域で言うと、私が最初にフェミニズム批評(*1)を始めた時、研究レベルではたくさんあったものの、一般向けの媒体でフェミニズム批評をやっている人はあまりいなかった。最近は特に私が書かなくても、一般の方がブログなどでフェミニズム批評っぽいことを書いてくれるようになりましたね。そこはちょっと浸透してきてるのかな。
*1……様々な芸術作品をフェミニズムの観点から読み解く批評のこと。
――ここ何年くらいの話ですか?
北村 6、7年とかかな。『アナと雪の女王』とか『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が出た頃は、フェミニズム批評だけのブログはそんなに多くなくて、私のブログを含めて数個しかなかったと思います。
――その変化の背景はどこにあると思いますか。
北村 私は90年代に子供だったんですけれども。90年代って特にアメリカから第三波フェミニズム系(*2)の音楽とか映画とかいっぱい入ってきた時期なんですよ。そういうものを子供の時に摂取した人たちが大人になった。その人たちが出版社で本を作ったり、学校で教えたりというのも関係あるんじゃないかなと思います。
*2……90年代に起こったフェミニズム運動のこと。人種や性のあり方、体型などといった多様性の重視、ポップカルチャーとの親和性の高さなどが特徴。
自分の内面に課していた「内なるマギー」
――今私は、女性芸人たちがどうやって芸人の世界、テレビの世界で生きてきたかという【女芸人の今】という連載を文春オンラインでやっているのですが、というのも私自身が学生の頃お笑いばっかり見ていて。でもその頃(90年代)のお笑いは、かなりトゲトゲしくて、ジェンダーの感覚を麻痺させないと楽しめなかったんです。当時の私はフェミニズムの考えに救われながら、マッチョなお笑い文化側にもなりたいと思っていたと思うんです。
北村 たぶんそれ、私が『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』で“マギー”って呼んでたやつだと思う。内なるマギー。マギーは、英国の女性首相だったマーガレット・サッチャーの愛称なんですけど、サッチャーのようにマッチョな男社会に適応しなければならない、という気持ちを持っている女性は多いと思います。
――マギーですか。
北村 私の場合ほんとに友達がいなかったので、同調圧力でマギーが生まれるというよりは、わりと自分の内面に勝手に課してしまうところがあって。ただそれに“マギー”と名前をつけたらその存在がわかるようになったし、楽になりました。
――具体的にどういう場面で出てくるんですか、マギーは。
北村 今日たとえば日比谷で試写会があるとしますよね。そういう時はちょっと高い服を着ていった方がいいんじゃないかなとか思ったりする。高くて、落ち着いた色合いの服を。その、「銀座や日比谷に行く時はちょっと高い服を着なければいけないのではないか」と思ったりするのが、マギーの種というか。あるんですよ、みんな。