――ああ……。
北村 会話というのは教育の、哲学の基本と言われます。プラトンの対話篇では、ソクラテスは対話の相手をきちんと教育できるんですけれど、あれも実際対話を見ている人たちが教育されるプロセスだったんだと思います。ただ現状はソクラテスに比べるとちょっとレベルが低すぎて、どうしたらいいんだろうみたいな感じもある。
――研究者の方がツイッターをするときには、そういう側面が大きいのでしょうか。
北村 あぁ、でも私の場合基本的には特に何もない。私、常になにか書いてないと不安になるんですよ。過書字というんですか。子供のころからそうで、だからツイッターやっているという感じですね。
詩人のオスカー・ワイルドってパーティーに行く度に面白いことを言っていたらしいんです。私オスカー・ワイルドすごく好きなんですけど、パーティーとかは苦手なんですよ。それでパーティーに行く代わりに、なんか気の利いた短いことを言える場所みたいな感じですね、ツイッターは。
おかしいと思うことにおかしいと言う子どもだった
――北村先生は普段どんな研究をされているのですか?
北村 シェイクスピア研究ですが、私のやっているのは実際にテクストを読んで何かを解釈するというよりは、昔の人がシェイクスピアをどのように読んでいたかとか、今上演を見ている人がどのように受け止めているかとか。受容研究、ファン研究と言われるものですね。
博士論文の時は、シェイクスピアの戯曲の本に当時の読者が書き込みしたものをトラッキング(追跡、分析)するという研究をしていました。その後はSNSなどを使ってシェイクスピアの上演に関する反応を抽出するとか、そのような研究をしています。
――北村先生はいつからフェミニストになったのか、きっかけのようなものはありましたか?
北村 うーん、きっかけは特にないですけど、おかしいと思うことにおかしいと言う子どもでした。それの何がいけないのか、よくわからなかったんですね。基本的に空気が読めなかったので。両親も少し変わっていて、「女の子なんだから」とかそういうことは全く言われない家庭でした。
――学校はきつくなかったですか?
北村 私、中学校にあんまり行ってなかったんですよ。教員にちょっといじめられて。
――それは……空気を読まずに異論を唱えるとか、勉強ができるからとか、そういう?
北村 たぶんそうだと思います。私だけテストの点数をみんなの前でバラされたり。たぶん私のことが嫌いだったと思うんですけど。
――歪んでますね……。勉強は好きでしたか?
北村 好きですね。学校に行けないことより、学校に行けないことで勉強できないことの方が辛かったです。
――勉強をすることで、何かが達成される感じですか?
北村 特に何かが達成されるというよりかは、純粋に知らないことを知るのが面白かったです。私、子供の頃に、世の中に知らないことがどれくらいあるのかわからないけど、それをできるだけ知りたいなぁとか考えていて。
――知識欲がすごい!
北村 ただこれは大人になって知ったんですけれども、シェイクスピアと同時代に活躍したクリストファー・マーロウの『フォースタス博士』というお芝居がありまして。世界の全てを知りたいと思って、結局悪魔と契約してしまう学者のお話。
なんでもかんでも知りたいというのは、シェイクスピアの時代からあったんですね。しかも大人になるまでそれを保ってるというのは非常に危険なことなんだなって思いました。