【監督・プロ野球死亡遊戯の自薦コメント】
 今回が『文春野球コラムペナントレース2017』の大トリを飾る原稿になります。長いシーズン、お付き合いいただきありがとうございました。では、最後までお楽しみください!

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19年の時を越えて……

 横浜スタジアムに19年ぶりに日本シリーズが帰ってきた。

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 10年前じゃ近すぎるし、30年前じゃ遠すぎる。「19年」という時間は絶妙だ。21年ぶりの続編が作られた映画『トレインスポッティング』のダニー・ボイル監督の言葉を借りると「10年前だと、俳優たちもそれほど変わってない。でも、20年となるとさすがに長く、その時間の重さを実感できる」というあの感じ。これは野球界でも同じことだろう。10年ならば同じメンバーの若手がベテランとなり残っていることが多々あっても、19年となると選手の入れ替わりが進みほとんど別のチームである。

 横浜と西武が戦った前回のハマスタ日本シリーズ開催は1998年だっちゅーの。なんて唐突に当時の流行語大賞をかましたところで完全に意味不明だ。この98年と言えば、GLAYのCDが売れまくって、アントニオ猪木が現役引退、映画『タイタニック』や『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大ヒットした。そう言えば、ドリームキャスト買ったなあ……と言っても、もはやセガのゲーム機ドリキャスを知らない人も多いだろう。全然関係ないけど懐かしの西武助っ人、それはドミンゴ・マルティネスだ。98年は守備の不安からDHの使えないセ本拠地では代打出場していたマルちゃん。今年のデスパイネのレフト守備はどうだろうな…と思いながら、京浜東北線に揺られて19年ぶりに日本シリーズが行われるハマスタへ向かった。

巨人ファンが“ハマのロペス”に送る拍手

 例え贔屓のチームが出場できなくても、ポストシーズンは野球界のお祭りだ。神輿は遠目から眺めているより、一緒に担いだ方が楽しいに決まっている。6年前、ナゴヤドームへ中日とヤクルトのCSファイナルを観に行った。正直に言えば、巨人が勝ち残ることを想定してチケットとホテルを手配していたら、ファーストステージでヤクルトに負けて傷心旅行…のはずが、そこで1軍デビューしたばかりの高卒ルーキーを観る機会に恵まれた。当時19歳のヤクルト山田哲人である。第4戦でプロ初安打を記録し、全盛期バリバリの浅尾拓也からタイムリーを放つ背番号23の若武者の姿は強烈だった。2017年のDeNAには細川成也という98年生まれの19歳の新人スラッガーがいる。ハマスタに集結した観客が「オレ、細川の1年目の日本シリーズから見てるからね」なんつっていつか自慢できる日が来るかもしれない。

 球場の三塁側内野席に着くと、やっぱりロペスを目で追った。不思議なもんだ。ちょうど3年前、同じハマスタのこのあたりの座席で巨人V3の瞬間に立ち会った。あの年から阿部慎之助の一塁起用も徐々に増え、「出場機会を奪ってしまい申し訳ない」と謝った元キャプテンに対し、ロペスが「アベさんは日本のスーパースター。気にしないでください」と返したことがスポーツ新聞では報じられていた。ちなみに2位阪神にあっさり4連敗を喫することになるCSファイナルの第4戦、ロペスの巨人最終試合の打順は「8番ファースト」である。しかも初戦から2試合連続のスタメン落ち。元メジャーのオールスター選手としては屈辱だっただろう。それでも、報道陣に不満をぶちまけることもなく、自身のSNSで言い訳もせず、静かに新天地へと去って行った。これぞプロフェッショナル。

 そして時が経ち、ハマスタの日本シリーズ試合前セレモニーの選手呼び込みで、ひときわ大きな拍手を受ける背番号2。もちろん俺も拍手。移籍して3年、エルチャモは完全に横浜ファンに受け入れられている。本当に良かったな。知り合いでも何でもないのに少し泣けてくる。今季は打点王と最多安打のタイトルを獲得。実力で今の地位を勝ち取った。日本シリーズはペナントとCSを勝ち抜き、厳しい生存競争を生き抜いた男たちの晴れ舞台だ。