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「ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が…」日本人1000人をソ連戦車部隊が殺害“葛根廟事件”に巻き込まれた少年の証言

終戦前日の「葛根廟事件」#1

2021/05/04
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8月14日、ソ連戦車部隊による攻撃がはじまった

 事件が起きたのは、出発から4日目、8月14日のことである。

 まず午前10時頃、1機のソ連軍機が低空で接近してきた。しかし、その機体は攻撃してくることもなく、その場を飛び去った。偵察機だったと思われる。

 その後の正午前のことである。葛根廟駅を目指して歩く彼らの視界に不意に見えたのは、ソ連の戦車群であった。

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「戦車だ!」

 避難民たちは、たちまち攻撃の対象とされた。大規模な砲撃や銃撃が始まった。

満洲国境を突破するソ連軍第1極東軍前線部隊(1945年8月) ©時事通信社

 場所は道の両脇にコーリャン畑などが広がる丘陵地帯のようなところであった。丘の先には、地名の由来となった葛根廟というチベット仏教の寺院が建っていた。

 聖なる丘が凄惨な殺戮の場と化した。

 ソ連側の資料を確認すると、この戦車群は第61戦車師団の一部だと思われる。本隊の燃料補給を待っている間に、先遣隊として葛根廟付近まで進出した部隊だったと考えられる。

 空気を切り裂くような砲声や銃声を聞いた避難民たちは、コーリャン畑や窪地などに飛び込んで身を伏せた。戦車が見えない位置にいた人々は、状況をよく把握できないまま退避した。当時、興安電報電話局の女性職員だった本田福江は、その時の様子を後にこう証言している。

〈伏せてたから、音は聞こえるけれども、何も見えないでしょ。最初はてっきり飛行機だと思ったけど、飛行機にしては来るスピードが遅いしね。おかしいなァと思って頭を持ち上げて見ると、戦車なんです。四台ぐらい縦に並んで来てたのが見えたんです。伏せていた場所から五、六メートルと離れていないところを通り過ぎて行ってですね、一台通るたびに土がふくれ上がるし、キビは大きく揺れるし。そこから逃げることも、どうすることも出来ない。弾はヒューンと飛んで来て、プスッと地面に突き刺さって……。ヒューン、プスッ、ヒューン、プスッって〉(『葛根廟』)

「キビ」とはコーリャンのことである。一緒に逃げていた仲の良い同僚の一人は、頭から大量の血を流して亡くなったという。

(写真はイメージ)©️iStock.com

ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が

 やがて戦車部隊だけでなく、歩兵や軍用車も姿を現した。当時、国民学校の4年生だった大島満吉は、以下のように述懐している。

〈日本兵が助けにきてくれたのかと思ったら、ソ連兵だったのです。私の背中のすぐ後ろで、日本人に向けていきなりダダダッと自動小銃を発射しました。ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音…あっという間に30人ぐらいが殺されました〉(「産経新聞」平成27年11月6日付)

〈「後編」に続く〉

「ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が…」日本人1000人をソ連戦車部隊が殺害“葛根廟事件”に巻き込まれた少年の証言

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