日本とインドネシアの国際共同製作によるCG長編というユニークな作品『トゥルーノース』(今年6月4日公開)も、似たようなテーマを描く。脱北者の証言を元に、北朝鮮の強制収容所における過酷な生と死を語るのだ。本作のキャラクター造形や物語の展開はかなりメロドラマ的なものであるのだが、そういったフォーマット――エンタメという「糖衣」――によってこそ、観客は、この残酷な現実の姿をようやく自分ごととして飲み込み、その苦味を身体に染み透らせることができる。他人事が、自分ごとになるのだ。
アニメーションは、寓話のような形態によって、社会のあり方を総体として浮かび上がらせることにも長けている。
『トゥルーノース』:
金正日体制下の北朝鮮で両親と暮らす幼い兄妹、ヨハンとミヒ。父親が政治犯として逮捕され母子も強制収容所に連行される。極寒の収容所の生活は凄惨を極めた。ドキュメンタリー映画『happy-しあわせを探すあなたへ』メインプロデューサーの清水ハン栄治の初監督作品。収容体験をもつ脱北者などにインタビューを行い10年の歳月をかけた。
社会の姿を変えようとする意志を描く
昨年公開され、のんが吹替版の声の主演を務めることで話題となった『マロナの幻想的な物語り』は、犬のマロナの死の瞬間から始まり、その生を回想する作品となっている。本作の監督アンカ・ダミアンは、過去、アニメーション・ドキュメンタリーというジャンルで2本の長編を制作した。外国における不当逮捕に反対しハンストを行った一般人、そしてアフガニスタンでムジャーヒディーン(ジハードを遂行する民兵)となったポーランド人と、ともに、社会体制が生み出す抑圧や欺瞞の果てに自らの人生を賭してそれに抵抗した人々の人生を描いてきた。
だから、『マロナ』は子供向けの作品として作られつつも、その本質にあるのは社会の告発である。マロナは複数の飼い主のもとを遍歴し、どの人間もそれぞれ自分勝手な理由でマロナを見捨てる。しかし、純真無垢な犬の目から眺められたとき、その飼い主の不幸は彼らが住む社会がもたらすものであること――彼らには不幸になる選択肢しか与えられていないこと――が、次第にわかってくる。飼い主たちの(不)幸せな人生を描くオムニバス的な構造は、社会構造そのものが人の人生を台無しにしているということを、エモーショナルに描き出す。社会のあり方を浮かび上がらせ、告発するのだ。
今年夏頃の公開を控える『カラミティ』もまた、ある社会の枠組みを浮かび上がらせる。監督はレミ・シャイエ。生前の高畑勲が激賞していた長編デビュー作『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』に続く待望の作品だ。シャイエ監督の作風は、輪郭線のない色面によるドローイング・アニメーションを用い、少女が苦難のなかで自分自身の運命を切り開いていく物語を語るというものである。『ロング・ウェイ・ノース』は、19世紀を舞台に、行方不明の祖父を探して北極探検に乗り出すロシア人少女の奮闘を描くものだったが、本作『カラミティ』は、西部開拓時代のアメリカを舞台に、伝説の女性ガンマンであるカラミティ(疫病神)・ジェーンの子供時代を描く。
レミ・シャイエの作品が日本で受け入れられているのは、本作の持つ空気感やキャラクターのあり方が、かつてのファミリー向け日本アニメの良質な伝統――たとえば高畑勲が手掛けたテレビシリーズのような――を蘇らせるような感触を持つものであるからかもしれない。
そんな感触の中で『カラミティ』が描くのは、強い意志が周囲を動かし、社会の姿を変えることができるという、そんなポジティブなエナジーだ。
『カラミティ』:
リアルな表現で話題を集めるレミ・シャイエ監督による最新作で、西部開拓史上、初の女性ガンマンとして知られるマーサの子供時代の物語。家族とともに大規模なコンボイ(旅団)で西に向けて旅を続けるが、マーサは家族の世話をするために少年の服装をすることを決心する。女性は女性らしくという時代にあって、マーサの生き方は、古い慣習を大事にする旅団の面々と軋轢を生む。