推敲過程に残された「タイタニック沈没時に演奏された賛美歌」
完成した『銀河鉄道の夜』の原稿中では何を歌ったかは明確に書かれていなかったものの、推敲の過程では「主よみもとに近づかん」という言葉が書かれていたバージョンもあるという。このフレーズは、賛美歌320番の冒頭の一節で、タイタニック号が沈没する時に楽団が演奏していた曲といわれている。
タイタニック号の遭難が1912年で、宮沢賢治は1896年生まれなので、遭難当時は15歳。『銀河鉄道の夜』の執筆開始は12年後の1924年ごろなので、報道かなにかで知ったタイタニックのエピソードを取り入れたのだろう。1925年1月に書かれた詩「今日もまたしやうがないな」の中に
まるでわれわれ職員が
タイタニックの甲板で
Nearer my God か何かうたふ
悲壮な船客まがひである
という一節が出てくる。
この賛美歌が本当に沈みゆくタイタニック号で演奏されていたかどうかは現在では疑わしいとされているようだが、映画『タイタニック』でも沈没が進む中、楽団が甲板でこの曲を演奏するシーンが描かれていた。
アニメ『銀河鉄道の夜』で描かれた「4本の煙突を持つ豪華客船」
そして脚本・別役実と杉井ギサブロー監督の手によってアニメ化された映画『銀河鉄道の夜』でも、こうしたいきさつを踏まえ、賛美歌320番(映画の中では当時の言い方に従い306番と呼ばれている)が使われている。また映画独自のアレンジとして、序盤でジョバンニが働く活版所で印刷しているものに、タイタニックらしき煙突を4本持った豪華客船の写真が載っている様子も描かれている。
このアニメ映画は、漫画家ますむらひろしが漫画化した宮沢賢治作品に着想を得て、登場人物をネコで表現しているのが特徴だ。ただし家庭教師の青年と姉弟だけは人間として描かれている。杉井監督がネコのキャラクターを採用したのは、それによってキャラクターが抽象化される効果を狙ったからだ。だから、ますむらの描いた『銀河鉄道の夜』では、ネコたちは服を着ているが、アニメ映画では抽象化のために衣装はミニマムに抑えられている。一方で、家庭教師と姉弟があえて人間で描かれたのは、ネコによる抽象化とは逆に生々しさがほしかったからだという。