そして2020年12月、E7系の増備の見通しが付いたとして、JR東日本はE4系の引退を2021年秋と決定した。これで日本のすべての新幹線から2階建て車両が消える。
日本の2階建て鉄道車両史
2階建て車両の利点は2つ。「定員を増やす」ことと「2階席からの眺望」だ。
2階建て鉄道車両の起源はフランスやイギリスの路面電車だ。2階建て乗合馬車を引き継いでいた。イギリスの2階建てバス、路面電車は植民地に導入されていく。香港の2階建て路面電車は1904年から走り始めて現代に至っている。
馬車、バス、路面電車の2階建ては「乗車定員を増やす」という目的があった。少ない車両数で利用希望者を乗せるためだ。一度に多くの人々を運べた方が儲かる。
ほぼ同時期に日本でも2階建て路面電車が走り始めた。こちらは「2階席の眺望」を重視した。明治37年に大阪市電に導入され、明治44年まで、主に魚釣り電車、夕涼み電車、花電車として運行されていた。その後は松山電気軌道に譲渡され、納涼電車として運行されたという。住宅では平屋、長屋が多かった頃、2階建ての建物は商業ビルや役所などだけ。電車の2階建ては珍しく、乗らなくとも見物する価値があったと思われる。
一方で、平屋の家主から「電車の客が家を見下ろす、覗く」という苦情もあったそうだ。そのせいか、日本の2階建て路面電車の歴史はここで途絶えた。
近鉄「ビスタカー」の誕生
次の2階建て車両は戦後に誕生する。1958(昭和33)年に近畿日本鉄道が運行した10000系特急電車「ビスタカー」だ。7両編成のうち3号車と5号車を2階建て構造とした。2階建て車両には運転台もあり、3号車、4号車、5号車の3両編成で運行できた。普通の鉄道としては日本初、いや世界初の2階建て電車という説もある。
近鉄ビスタカーは、当時の近鉄社長、佐伯勇が号令をかけて実現させたと言われている。佐伯が専務取締役だったとき、近鉄はノースウェスト航空の代理店業務を開始した。その縁で佐伯は同社に招待されアメリカを視察する。大陸横断列車「エンパイア・ビルダー」に乗車した約700マイルの旅で、個室の客席や展望車「ビスタドーム」から眺めるミシシッピ川の景色に感銘を受けた。「これからは観光の時代」との思いを強くしたという。