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萩生田文科大臣の“越権行為”が意味するもの
まず、旭川市教育委員会は、4月26日に萩生田光一文部科学大臣が国会で述べた答弁の重みを理解すべきだと思います。萩生田大臣は、国会で「(旭川の)事案が進まないということであれば、文科省の職員を現地に派遣する。あるいは、私を含めた政務三役が現場に入って直接お話しする」とまで言いました。これは極めて異例で踏み込んだ発言です。
というのも、文部科学省には、都道府県立の高校に対して、「現場に入って直接お話しする」権限はあるのですが、公立の市区町村立の小中学校に対しては、各自治体が管轄している関係で、直接の調査権がないからです。しかし、萩生田大臣はそんなことは百も承知で、あえて“越権行為”に及ぶ可能性を示唆したわけです。それだけ、文科省としてはこの問題を重要視しているということです。
ところが、旭川市教育委員会が設置した第三者委員会は、当初11月末までには行うとした調査結果の公表時期について「白紙」にすると発表しました。これではとても「事案が進んでいる」とは言えません。はっきり言って第三者委員会は機能していないと思います。
“学校の常識は世間の非常識”…悪しき50年前からの文化
そもそも、廣瀬爽彩さんが受けたイジメ行為について、Y中学校や市教委は2019年9月の段階で、文科省が定める「いじめ防止ガイドライン」(いじめの重大事態の調査に関するガイドライン)の事例にも明らかに抵触する事態が起こっていながら、『イジメではない』という結論を出してしまいました。なぜ、こんなことが起きたかというと、やっぱりその背景には “学校の常識は、世間の非常識”と言えるような事情がある。学校には50年前と変わらない悪しき文化が息づいているんです。
例えば、校長先生というのは、往々にして、過不足なく自分の校長としての任期を全うすることを第一目標にしがちです。なぜなら、公立校の校長を勤め上げた先生は、70歳になったら自動的に叙勲がもらえる。それから校長の任期を無事全うし、定年退職した際には、市立図書館の館長や教育相談所の所長といったポジションに天下りすることができる。彼らにはこれがすごく重要なことなのです。
ところが、校長在任中に学校で“事件”が起きてしまったら、これらの恩恵を受けることができなくなってしまう。そのため、校長先生というのは、イジメなどが疑われる事態が起きると『なんとか穏便にできないか』と、“事なかれ主義”に陥りがちです。こういう校長先生の姿を、僕はこれまで無数といっていいぐらい見てきました。旭川市のY中学校の校長先生もその意識がどこかにあったんじゃないかと推測できます。