「壮年期を、世間から隔絶された場所で拷問を受けて過ごした。心の傷は今も癒やされることはない」
同胞を苦しめる中国共産党政府
心の支えはアラー(神)だった。思し召しを信じて、1日5回の祈りは欠かさなかった。遠く離れた故郷の地や家族の姿を何度も思い浮かべた。
かつてシルクロードとして栄えたこともある地を踏みにじり、自分たちの文化や言葉を奪おうとして、同胞を苦しめる中国共産党政府のやり方は許されなかった。自分たちの尊厳を守ろうと、独立を目指す運動に加わった。仲間は中国当局に捕まったり、殺されたりした。迫害を逃れてウイグル自治区を離れたのは20歳の頃だった。その後は中央アジアやパキスタン、アフガニスタンを転々として、故郷に戻る日をうかがっていた。
米国は最終的に「敵の戦闘員ではない」と判断したが、すぐに解放されることはなかった。やがて同じようにグアンタナモに収容されたウイグル族21人も解放されることが決まった。そんなある日、中国当局者がグアンタナモを訪ねてきた。用件を告げられずに面会を強要された。最初は穏やかな口調で中国への帰国の意思を問われたが、何も答えなかった。するとすぐに「本性」を表した。
夢は絶たれ、収まらない怒り
「故郷にいる親族がどうなってもいいのか」
ガラス窓越しにさんざん脅された。つらい言葉だった。だが中国に戻れば自分が迫害され、親族にも会えないことになるのは明らかだったため沈黙を守った。他の同胞も同じように中国当局者と面会をさせられたが、いずれも帰国を拒否した。
なぜ秘密の収容所に中国当局者の訪問が許されたのか。しかも自分たちがグアンタナモにいることは「外」の人間は誰も知らないはずだ。不可解だったが当時、理由を知るすべはなかった。対テロ戦争の一環で米国が中国と協力を深めていたのが背景にあると知ったのは、解放後のことだった。米中対立が深まる今、そんな「裏取引」が成り立つことはまったく想像できない。
ブッシュ政権の後を継いだオバマ政権になって、グアンタナモの閉鎖が政府内で取りざたされるようになった。解放されることが決まり、米国務省から移住先を聞かれたので「米国本土で暮らしたい」と伝えた。希望はいったん認められたが、米司法省が米国本土への移住を取り消す訴訟を起こして、米国行きは破談になった。夢は絶たれ、怒りは収まらなかった。