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真っ暗な部屋で手錠をされ…ウイグル族男性がグアンタナモ収容所で受けた“あまりに理不尽な拷問”

9.11同時多発テロから20年、受難の日々は続く

2021/09/11
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イスタンブールで待ち受ける妻や子供と合流

「これが民主主義を標榜する国の実態なのか」

 グアンタナモ収容所は、対テロ戦争の「負の遺産」といわれる。正規の司法手続きを経ず、国際法が定める捕虜としての扱いを受けないまま、収容者への拷問が横行していたからだ。自殺者も出た。収容者は約780人とされるが、大半は「白判定」を下されて解放された。ノーリーも着せられたオレンジ色の囚人服は、過激派組織「イスラム国」(IS)が人質に着せるなどして、米国への「聖戦」を呼び掛け、メンバーを募るプロパガンダにも悪用された。

 ようやく拘束を解かれたのは09年だった。「将来の滞在先が決まるまでの一時滞在先」(米国務省)として、台湾と国交のある西太平洋の島国パラオに住むことになり、同胞5人と米軍の輸送機で運ばれた。アルバニアや中米に向かった同胞もいた。パラオでは日本への亡命も希望したが、受け入れられなかった。

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 イスラム教徒が多いトルコ政府の配慮で、世界最大のウイグル族のコミュニティがあるイスタンブールに移住できることが決まった。現地で待ち受ける妻や子供と合流したのは、12年になってからだった。民間航空機を使い日本経由で向かったが、中国上空を通過した際は、強制着陸させられないか不安に駆られたが杞憂に終わった。

イスタンブールのボスポラス海峡を臨む公園でたたずむノーリー親子(©共同通信/村山幸親)

「超大国が掲げる『力の正義』に翻弄された悔しさ」

「9・11」の同時テロから20年がたった。対テロ戦争に突き進んだ末、アフガンでタリバン復権を許した米国と、欧米からの批判に耳を貸さずウイグル族弾圧を強化し続ける中国。両国から「テロリスト」扱いされてきたノーリーの脳裏によぎるのは、「超大国が掲げる『力の正義』に翻弄された悔しさ」だ。

 生まれ育った新疆ウイグル自治区クチャを離れて30年以上たつが、その地にもう父はいない。グアンタナモ収容中に亡くなった。イスタンブールから電話で連絡を取った母は、治安当局に一時拘束された、と聞いた。

 ポプラ並木が美しく、夏から秋にかけて新鮮な野菜や果物がバザール(市場)に並んでにぎわうクチャ。ノーリーは妻や、故郷を知らない娘と息子を連れていつか思い出の地を踏みたいと願っている。

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