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「守り抜く」は、「誰から」が省略されているが、それは「敵とみなす者から」だろう。安倍は「あんな人たちに負けるわけにはいかない」といったが、現在、高市の支持者たちが河野を敵視して「あんな人に負けるわけにはいかない」とばかりに河野批判の熱を高め、高市までもが迷惑がる事態になっている。

高市早苗・前総務相 ©JMPA

 こうした敵と味方を峻別して敵を攻撃する態度に対置するのが、「度量の広い中庸な、そして温かいもの」、すなわち河野のいう保守であろう。今回の総裁選は、はからずも、このようにして「保守」とはなにかを浮き彫りにするのであった。

 では、果たして河野は温かさのある政治家なのだろうか。

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「はい、ダメ」「はい、次」「日本語わかる奴出せよ」

 このように問えば、多くの者は週刊文春9月9日号が報じた、河野の官僚へのパワハラ的行為を思い浮かべよう。「はい、ダメ」「はい、次」を計13回繰り返し、「日本語わかる奴、出せよ」と言い放つ、あれだ。相手の立つ瀬を失わせるように言い負かして追い払うのである。

 あるいは担当相としておこなった新型コロナのワクチン供給については、GW前に計画変更がなされていながらそれを知らせることはなく、現場をふりまわしておいて、接種が進んだところで「やはり河野太郎でなかったらここまで来なかっただろうと正直、思っています」と自画自賛する。

 無理をするのは他人、成果は自分というわけだ。竹下登は「自分で汗をかきましょう、手柄は人にあげましょう」と言ったが、その真逆である。

 このように河野は、人の上に立つ者であると同時に、人を使う側の人間としてふるまう。

河野太郎・行革相 ©文藝春秋

 それでいえば、河野は総裁選の最中の19日、Uber Eats配達員と意見交換をする。このとき、配達員が「副業禁止を禁止にしてほしい」と申し入れたのに対して、河野は「賃金をどう増やしていくかという選択肢の一つが、個人の副業」と応じている(産経新聞9月19日配信記事)。

 Uber Eats配達員を、働く者にとって自由で新しい働き方と見るか、企業側にとって都合のいい単発の業務委託と見るか。それでいえば河野は前者に見えるようなことを言っている。総裁選用のTwitterアカウントでも「働き方も多様化」とのコメントを配達用のバッグを背負う写真とともに投稿する次第だ。