自民党総裁選(29日開票)が面白い。河野太郎、岸田文雄、高市早苗、野田聖子(届け出順)が立候補し、混戦を極めているためだが、とはいえ、この総裁選から「菅の後」を決める以上の意味は見えにくい。

「森友学園」「桜を見る会」の問題の再調査の必要がないことを有力候補の河野・岸田が表明していくなど、「安倍さんたちを安心させるアピールをする会」になってしまっていることや、河野の萎縮によって、世代交代や路線対立といったものが、ぼやけてしまったからだ。

©️AFLO

かつて異端児だった河野は

 河野は、かつては異端者としてふるまい、それが世間に受けて面白がられてきた。脱原発を唱えたり、ブログで女系天皇の検討を主張したりするなど、ステロタイプな“保守”とは一線を画していたのだ。ところがそれが仇となり、安倍晋三らから「国がめちゃくちゃになる」(日刊ゲンダイ9月9日)との懸念の声があがるようになどするため、河野は党内でのハレーションを起こす主張を引っ込めていった。

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 それはつまるところ「長老」たちへの気遣いだ。異端者であることはTwitterのフォロワー数を増やす分にはいいが、総裁選で勝つには足かせとなる。

 長老というのは世話焼きが仕事で(森喜朗がまさにそれだ)、恩義などによる人間関係のネットワークを広げているため(森喜朗がまさにそれだ)、なにかと面倒くさい存在である(森喜朗がまさにそれだ)。おまけに安倍のようにまだ枯れていない者がそうした立場になると、それこそ面倒くさいだろう。しかしこの長老たちに気に入られないことには今日の総裁選は勝てないようだ。

 

 それでいえば高市は、森・安倍と同じ派閥(当時・町村派、現・細田派)に所属していたが、2011年に離脱したことで森を激怒させ、現在も同派内での評判が悪いという。そのためか、高市は自らの出馬表明が掲載された月刊文藝春秋の発売日(8月10日)にあわせて、森のもとへ挨拶にいって喜ばせている(週刊文春9月16日号にて、本人・談)。

 その甲斐あってか、安倍は高市支持を表明し、そのうえ「私の言葉は森さんの言葉だと思って聞いてほしい」と言ってまわっているという(週刊新潮9月22日発売号)。見事に長老たちを使いこなす高市である。