――ということは、今は青春の恥部をさらすことに抵抗はない?
永野 あんまりなくなりましたね。自分の中にあった、「かましてやるぞ!」みたいなイキった感覚がなくなるのかなって思ってたんですけど、むしろ成仏していく感覚というか。そういうことを話していい段階にいるのかなって思えますね。先日、『永野CHANNEL』に金子ノブアキくんが来てくれたんですけど、彼が『(2021年に公開された劇場版)エヴァンゲリオンと永野さんの本で、自分の90年代は成仏された』って話してくれて。俺のことをシンジ君って呼んで!みたいな(笑)。好意的な反応をたくさんいただくので、素直にうれしいですね。
超多感な時期にニルヴァーナと出会った
――「トレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ)を聴きながら埼京線に乗っているとキツい」、「ロックは社会派じゃなきゃいけないとU2を聴いて勘違いした」など、陰鬱かつ最高すぎるエピソードが、音楽を通じて語られています。その姿が、どこか他人事に思えないんですよね。
永野 主に90年代のロックについて語っているんですけど、90年代って僕が16歳から26歳のとき。超多感なときにニルヴァーナとかに出会ったわけですよ。僕は鬱屈していたからグランジにハマった。ニルヴァーナ以降って、「俺はキツかった」みたいなことが言えるようになったと思うんですよ。それまでって、「俺はキツかったけど成り上がってやったぜ」だった。でも、ニルヴァーナってずっと絶望しているからグッと来た(笑)。
自分の生い立ちって、すごいイヤなんです。お笑いを目指すような奴って、一般的にクラスの人気者だったり、スポーツができるみたいなわかりやすい感じだと思うんですけど、僕は全然そうじゃない。すげぇバカな高校に入って、そこに自分もいるっていう現実。グレるわけでもなく、いじめられるでもなく。だから、恩人が1人もいない。そういうときに出会った音楽にすごい救われたんですよね。ネガティブを表現してもいいってことに衝撃を受けた。自分に多大な影響を及ぼしたカルチャーって、孫悟空の輪っかみたいなもので取れないから、今もずっと引きずってますね。
――青春は緊箍児(きんこじ)だと。永野さんが、ラッセンでブレイクしたのは40歳です。売れない期間も、やっぱり90年代のロックが支えに?
永野 救われ続けてきましたね。アティテュード(態度)って言うじゃないですか、それだったなって。正直、売れていないときにニルヴァーナとかコーンなんか聴いてもぜんぜん楽しくないんですよ。「恋するフォーチュンクッキー」とか聴いたほうが、気分が上がるんですけど、アティテュード……もう意地ですよね、その気持ちだけで聴いてました。あと、映画から受けた影響も大きかったと思います。