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元東京都知事・石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか? 「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは

2022/02/03
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政治家の失言が許される風潮

 政治家・石原慎太郎の仕事を論評しようとする記事も少ないながらあったので、いくつかあげる。

《誇りある威勢のよい日本人をむねとし、その自意識が「三国人」発言や女性蔑視発言などを生み、強い批判も浴びた。今や世界の一方の潮流となりつつある権威主義やポピュリズム(大衆迎合主義)の影を石原さんに見ることもできるだろう。それを熱狂的に受け入れた時代と社会の素顔も、私たちは記憶せねばならない。》(毎日新聞「評伝」2月2日)

《人権意識の低さにあきれかえることが何度もあった▼それでも人気は衰えず、政界で存在感を示し続けた。それも一因だろうか。「率直」と「乱暴」の違いをわきまえられない、幼稚な政治家が相次いでしまった》(朝日「天声人語」2月2日)

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©文藝春秋

 朝日の社会面では御厨貴氏(東京大名誉教授・政治学)が、

《差別的発言など是認できないものがあったのに「石原さんだから仕方が無い」と許されてしまう面があった。影響力が大きい人ゆえに政治家の失言が許される世の風潮を作ってしまった。それは負の遺産だ。》

メディアはしっかり「論評」を

 これらは石原氏と今の社会をつなげる論評だった。しかしその下に載っているジャーナリスト田原総一朗氏のコメントは、

《問題発言も多く批判もあるが、「ぶれない政治家」という点ではまれな存在だったと言える。》

「問題発言」にはあっさり。この前段を読むと「国会議員時代に、雑誌の対談で大げんかになった」とか、要は石原慎太郎との交流自慢だった。

 東京新聞の1面コラム「筆洗」は《人目と批判をおそれすぎる現在の日本を思えば、その人はやはりまぶしい太陽だった。夕日が沈む。》(2月2日)

 各々うっとりしてる。これほどまでに石原慎太郎は戦後日本を生きた年代の人たちにとって大きな存在だったのだ。そうだとしても、それはそれ、これはこれである。メディアはきちんと「論評」をしてください。

元東京都知事・石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか? 「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは

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