この時点で理事長と審判部の事前調整は一切なかった。だが漂い始めた「33勝未満でも昇進」との空気に審判部が呼応する。「立ち合いの変化をせず、姑息な手段を選ばない」「将来性に期待しよう」「師匠が急死したのによく頑張っている」などと後押しが相次ぎ、貴乃花審判部長(元横綱)も「けれん味がなく、常に真っ向勝負だ」と称賛する。14日目の10勝目で昇進は事実上固まり、千秋楽の取組前に臨時理事会開催が決定。モンゴル出身の横綱白鵬を筆頭とした外国勢全盛の壁に幾度もはね返されては立ち向かった男の気概に対し、協会側は“あうんの呼吸”で応じた。
「あの日の負けは一生忘れない。本当にふがいない」
稀勢の里は千秋楽の大関琴奨菊戦に敗れ、3場所計32勝にとどまった。直前3場所で優勝経験がなく、33勝未満での大関昇進は85年名古屋場所後で計31勝の大乃国以来26年ぶり。ただ一本気な男は昇進を喜ぶどころか「あの日の負けは一生忘れない。本当にふがいない」と現役引退後の今でも述懐しては顔をしかめるほどだ。終盤戦の空気を自分でも察していたからこそ、勝利で終えたかった。ただこの時の屈辱が、初優勝と横綱昇進を手中に収めた17年初場所14日目につながる。悲願達成に沸き立つ周囲をよそに「まだ最後の一番がある」と祝杯を封印し、たった一人で夜を過ごして集中力を研ぎ澄ませた。千秋楽には白鵬に逆転勝ちし、6年越しの悔しさにけりをつけたのだ。
稀勢の里が「大関昇進」という目先の結果に浮かれない力士だということを見抜き、当時の理事長も審判部も柔軟な思考で眼力を発揮した。努力の日々を見ていた相撲記者側も意をくみ、大半が昇進に前向きなトーン。協会首脳、審判部、報道陣の三位一体で新大関が生まれることもある。一方で議論を重ね、「3W1H」の歯車が狂いながらまとまる昇進もある。各力士に個性があるように、昇進への道は千差万別だ。ただ一つだけ共通している点は、全ては人間模様が根底にあるということ。数字や前例などをあくまで参考にしつつ、その時の時代背景や今後の行方を鑑みながら「生き物」と呼ばれる番付に「新大関」を刻む。一段と太くなった四股名には、伝統国技の醍醐味が凝縮されている。