1957年、ひとつのアイデアが生まれた。東京~名古屋間の準急「東海」を2往復増発して3往復にするとき、新たな愛称をつけず、列車名を「東海1号」「東海2号」「東海3号」とした。上り列車も「東海1号」「東海2号」「東海3号」だ。「1往復1愛称」から「3往復1愛称」だ。しかし実際は「下り東海1号」「上り東海2号」と方向を付けて呼んだから、「1列車1列車名」になり、指定席券の区別はできた。これが現在の列車名「愛称+数字+号」の元祖だ。
座席予約システム「マルス」の導入が転機に
1958年には別のアイデアが採用された。東海道本線で初めて電車特急「こだま」が誕生した。東京~大阪間、東京~大阪~神戸間それぞれ1往復、合わせて2往復が設定された。この時は「第1こだま」「第2こだま」となった。その後、「愛称+数字+号」「第+数字+愛称」は両立した形で列車愛称が増えた。同じ区間の列車は同じ愛称で、大同小異でも数字部分で特定できる。
1960年、列車名に転機が訪れる。オンライン座席予約システム「マルス」の導入だ。当初、マルスで扱う列車は「第1こだま」「第2こだま」「第1つばめ」「第2つばめ」の4列車8本のみ対応した。しかし国鉄は将来、全列車のマルス対応をめざした。とくに東海道新幹線が開業すれば、1日に数十本、それぞれ12両、全車指定席だ。当時のコンピューターは性能が低く、記憶容量が足りない。列車名を増やしてほしくない。
1964年に、東海道新幹線が開業すると、愛称は通過タイプの「ひかり」、各駅停車タイプの「こだま」の2本立て。どちらも1時間に1本が設定された。1日の列車の数は、上下合わせて60本。そこで各列車は呼びやすい「列車名+数字+号」を採用した。マルスに「第1ひかり」「第2ひかり」……と列車名を設定すれば、データペースに60個も「ひかり」を記憶させる必要がある。しかし「列車名+数字+号」方式であれば、列車名のデータはひとつだけ。あとは変数の号数を組み合わせるだけで列車を特定できる。
さらに、発車順に下り列車は奇数、上り列車は偶数とした。この方法なら同じ列車名はないし、いちいち「下り」「上り」を付加しなくても認識できる。
「あずさ2号」の誕生と廃止
特急「あずさ」の誕生は1966年だ。列車の名前は上高地を流れる梓川から。「あずさ」は、1960年に臨時夜行列車に採用された列車名でもあった。特急「あずさ」は新宿~松本間2往復で、列車名は「第1あずさ」「第2あずさ」となった。上り列車も同じ「第1あずさ」「第2あずさ」だ。「こだま」と同じ規則で、在来線特急はしばらくこの方式が続く。