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櫻井よしこが106歳の母を介護して考えた「日本的家族のあり方」

2018/05/04
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最大の犠牲者は高齢者自身 

 日本は四季の豊かさに恵まれ、食生活から医療・衛生に至るまで、優れた伝統文化を維持してきました。その伝統を背景に、世界に冠たる長寿国となりました。お年寄りの知恵に学びながら共同体を維持し、文化を継承する仕組みも機能していました。自分を後回しにしてでも困っている人を皆で助け合う「互助の精神」も根づいていました。伝統的な日本は、高齢者に優しい国だったといえます。 

 ところが、世界有数の長寿国になったとき、老後は必ずしも幸せなものではなくなりました。私たちは「どのようなかたちで長生きするのか?」という根源的な問題を十分考えないまま超高齢社会に突入し、思いがけない矛盾を抱え込むことになってしまったと思います。

 超高齢社会が抱え込んだ矛盾の最大の犠牲者は、お年寄り自身です。介護施設ではお年寄りをプライバシーもない大人数の部屋に押し込めざるを得ません。介護士の数が足りず、少人数のスタッフで目が行き届かない、お風呂やトイレのお世話もおざなりな劣悪施設は、珍しくありません。また、デイサービスの延長で高齢者を預かる「お泊りデイ」や、近郊の民家をそのまま介護施設に転用している例など、脱法的な施設も多くあり、厚生労働省も実態をみきれていません。

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1年間に300件、虐待が倍増している

 虐待も大きな問題です。厚生労働省の調査結果(平成26年度)によると、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、介護療養型医療施設など高齢者用の介護施設に勤める職員が、利用者を虐待したとする案件が、平成26年度の1年間で300件もあったと報告されています。これは前年度と比較して約35%増であり、かつ直近の2年間では倍増しています。もの言えぬ高齢者が、まさに社会的弱者になっているのです。

 若い頃は立派な仕事を成し遂げた人々、善き家庭人として子育てや家事を支えてきた人々が、人間性を否定されるような環境で人生の最終期を過ごすのかと考えると、胸が痛みます。表面化したものはごく一部であって、人知れず耐えている高齢者は全国各地にいると思います。

 今の日本を築き上げてきた方々をこのような劣悪な状況に置いたままで、私たち日本人は本当によいのか。また、自分自身もいずれそうなる運命であることに、私たちは納得できるのか、厳しく問題提起したいと思います。