「頭の固くなった古い記者」の正直な気持ち
鹿島 読み比べしていて面白かったですね。たとえばサンスポがスケボーを「かつては不良がやる遊びのイメージ」「中高年には最も縁遠いスポーツだろう」と書いていて、さすが「和服おじさん」産経と嬉しく思いました。
一方でスポーツ紙が変わろうとしている姿を垣間見たのが日刊スポーツの試み。スポーツ取材35年という超ベテラン荻島弘一記者が新競技であるサーフィンを取材して「勝つことだけを重視しない」そのカルチャーにショックを受けたことを正直に綴っているんです。「頭の固くなった古い記者に新しいものの見方、考え方を教えてくれた選手に感謝したい」と。
――謙虚に教わっていることを書いているんですね。
鹿島 「ごめん、知らなかったけど面白いねこれ」という正直な感じって好ましいですよね。これってさっきの宮原記者の「首相番なのに追及が甘くてすみませんでした」の感じに似ていませんか。新聞って伝統あるメディアですから、構えがどうしてもデーンとしている。だから僕は「おじさん」として新聞をキャラ化しているわけですが、新聞はもっとこんな感じで降りてきていいような気がします。「俺は全部知ってるぞ」という強いイメージじゃなくて、「ごめん、知らなかったけど面白いねこれ」的な態度。
――なるほど。逆に、新聞やジャーナリズムの良い面を伝えてくれる鹿島さんはおそらくメディアからするとありがたい存在で、ともするとひとりの読者の存在を超えて、権威化してしまう可能性もありますよね。そういう側面についてはどう考えていますか?
鹿島 それは、ありますね。だからたとえばロシア情勢について取り上げるなら、記事を吟味して「ウクライナ侵攻を東京スポーツはどう報じたか」みたいに、相変わらずやるつもりです。
――在野であり続けないといけない。
鹿島 そういうことです。朝日新聞デジタルが僕をコメンテーターに起用してくれましたけど、あくまでオマケだと思ってます。朝日など一般紙にエラそうな態度があったら当然今後もネタにしていくし、東スポとかゲンダイをよだれを垂らして楽しむ、基本は忘れることはないです。
――東スポって大事なんですね。
鹿島 大事ですよ、まさに在野精神です。
――そう考えると新聞も読者も、こうでなければならない、という縛りからまずは解放されるべきじゃないかと。
鹿島 アップデートには勇気が要りますが、おじさんになってからこそ、変わりようがあると思います。これは人間だってそうですよね。僕もゴリゴリの芸人観をいったん捨てたのが10年くらい前のこと。人はいつだって、変わろうと思えば変われるんだと思います。ダジャレ見出しが飛び交う「ザ・オヤジジャーナル」のスポーツ紙だって、変わろうとしているんですから。
写真=佐藤亘/文藝春秋