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東京から2時間弱…総武本線“千葉の端っこの駅”「銚子」には何がある?

“千葉の端っこの駅”「銚子」#1

2022/07/18

genre : ニュース, 社会,

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 その証拠に外川という銚子市の南側にある港町は、江戸時代に紀州の人によって整備されている。さらに、江戸時代の初め頃には濱口儀兵衛という人物も紀州から銚子にやってきた。濱口儀兵衛の生まれた町は、醤油発祥の地として知られる紀州湯浅の隣村。かくして銚子にお醤油造りが持ち込まれ、江戸時代を通じて醤油の一大産地として成長していった。

 そしてこの醤油産業の発展を支えたのが、利根川である。利根川は江戸時代のはじめに東遷事業によって銚子で太平洋に注ぐように付け替えられた。これによって、銚子に集められた各藩の蔵米や生産された醤油は、利根川の舟運を用いて江戸に運ばれた。

 江戸は世界でも有数の人口規模を誇る一大消費都市。それを背景に、港町・醤油町としての銚子は発展することができたのである。

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駅前から漂う“リゾート感”の源流

 このように、太平洋に突き出たどん突きの町であることが、銚子を港町・醤油の町にした。

 明治に入ってもそれは変わらない。1897年に総武本線が開通して銚子駅ができると醤油輸送は利根川から鉄道へと移り、港や醤油工場への分岐線も伸びていた。それらは既になくなって市街地の中に埋もれ、輸送はトラックへと変わっている。ただ、いまでも銚子は日本有数の港町にして、醤油の町であり続けているのだ。

 そんな歴史を知ると、駅前のリゾート感がなんとも言えず不釣り合いに見えてくる。まあ、よその地域からお客を呼ぼうとするならば、漁師と醤油工場の武骨さを押し出しても仕方がないのだろうが、南国マリンリゾート感のある駅前は、ちょっとやり過ぎと言えばやり過ぎか。

 

 ただ、そんな駅前の一角に「日本初の修学旅行到達の地」という碑があった。脇の説明書きを読むと、1886年に東京師範学校の生徒99名が「長途遠足」の名で銚子までやってきたという。

 実地演習と兵式操練が目的だったようで、徒歩で東京から習志野や成田を経て佐原までやってきて、そこからは利根川を船で進んで銚子まで(つまり成田線ルート。ただしこのとき銚子には鉄道はまだ未到達)。それこそリゾートでもなんでもないのだが、東京からの“旅行先”としては案外にちょうど良かったのかもしれない。

 そういえば、銚子といえばまだ名物があった。ぬれ煎餅と銚子電鉄である。徒歩で長途遠足、とはさすがに時代が違うが、東京から日帰りもできる港町・銚子。ぬれ煎餅が名物になったのは、もちろん醤油の産地だからだ。

 銚子電鉄に乗ってぬれ煎餅を買って、そして銚子駅の周りも歩いて古の銚子の賑わいに思いを馳せる。そんな真夏の休日も、案外悪くないものである。

写真=鼠入昌史

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