国民的大ブームとなったパプリカダンスで知られるダンサー・振付家の辻本知彦氏が初の著書『生きてりゃ踊るだろ』を上梓した。シルク・ドゥ・ソレイユの大舞台から、さまざまなトップアーティストとの熱きセッションまで、独自の仕事術とダンスのもつ教育的可能性について語った。
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異質なものを融合していく表現に衝撃を受けた専門学校時代
――ダンスを本格的に始めたのは18歳からだったと新著に書かれていて、大変驚きました。
辻本 プロのダンサーの多くは幼少期から、とくにバレエの世界では3、4歳からレッスンを始めているので、18歳からのスタートと聞くと、みなさんびっくりします(笑)。でも人間、情熱があれば物事を始めるのに遅すぎるなんてことは決してない。
僕は中学・高校はバスケットボールに打ち込んでいました。高3のときに友達にストリートダンスのステップを教えてもらってから、その面白さに目覚めていきました。それまで人生の幸せにはお金こそが大事だと思っていたけれど、ダンスに出会って「お金をかけずに」幸せになれる遊びを見つけられた。人生を測る尺度が一変しましたね。
――最初からプロを目指していたんですか?
辻本 18歳でダンスの専門学校に入ったとき、わざわざ遊びにお金を出してもらった以上、仕事としてやれるくらいにならないと親に合わせる顔がないな、と思っていました。
もともとはストリートダンスにハマっていたのですが、専門学校で渡辺寿悦さんというブレイキンとバレエの両方を極めているすごい先生に出会って、異質なものをハイブリッドに融合していく表現に衝撃を受けたんです。
そこからバレエも徹底的に身につけようと思って、それこそ20代前半は週5日、小学生に混じって基礎からレッスンを受けていた時期もあります。子どもたちからの視線が痛かったけれど(笑)。ダンスの上手い人たちは、こんなにもきついトレーニングを幼少期からやってきたんだなと、ギャップの大きさを痛感しました。
米津玄師に振付をする時に大きく役立った“アプローチ”
――その差を埋めるためにどんな工夫をしたんですか?
辻本 大人になってから始める以上、ダンスを短期で習熟するための戦略を練りました。まず「柔軟性」――どこもかしこも柔らかくするのではなく、自分にとって必要な箇所の「動きの可動域を広げる」ことにフォーカスしました。
ストリートダンスでは硬さがあったほうがかっこよく決まる場面も多い。だったら硬い部分を残して、その対極で体のどこを柔らかくすれば硬さが素敵に見えるのか? そんな発想で、細く長い筋肉をつけやすい独自の「ストレッチしながら筋トレ」に取り組みました。本に詳述しましたが、この「あえて硬さを残すアプローチ」は、のちに米津玄師さんに振付をするときに大きく役立ったんです。