もうひとつは「ビジュアル」、自分の見せ方の探究でした。わかりやすくいうと、ファッションが変わるとそれだけで歩き方や、全身の出で立ちが変化します。Tシャツでかっこいい動きと、ジャケットで美しく見える動きは当然異なります。当時の僕は意識的にジャケットを着るようにして、日常生活の中から身のこなしの型をつくっていった。
例えば「なで肩のストンとした肩まわり」とか具体的なイメージを強くもって生活していると、筋肉の付き方も自然に変わってくるんですね。文字通り、自分の理想とする骨格に近づいてくる。服とそれに応じた体の見せ方、自己イメージの持ち方は互いに深く響き合っていますから。
これはダンサーだけでなく誰にでもあてはまることで、こうありたいという自己イメージひとつで、体つきもどんどん変化するんです。
倍率400倍!シルク・ドゥ・ソレイユのワールドツアーへ
――希望が湧いてくる言葉ですね(笑)。ストリートダンスとバレエの両方に取り組んだことがコンテンポラリーダンスの道へと繋がっていったんでしょうか。
辻本 はい、バレエを徹底的にやろうとしていた中で、コンテンポラリーダンスに出会えたのが幸運でした。コンテンポラリーは「自分で自由につくっていいダンス」。Noismの振付家・金森穣さんのもとで、バレエを極めた先にある自由で既視感のない踊り、ダンスと日常動作の境目にある動きの面白さなどに目覚めていきました。
僕は並行してアクロバットを学んでいたこともあって、異質なものをハイブリッドに融合させ、新しい表現を生むコンテンポラリーダンスに強く惹かれていったんです。
――それがシルク・ドゥ・ソレイユでの日本人男性初の大抜擢に繋がったんですね? よくぞ倍率400倍のオーディションを突破しましたね。
辻本 僕が最初にシルクのオーディションに受かった2007年当時は、世界的にみても、コンテンポラリーダンスのできるストリートダンサーに希少価値があったんだと思います。
でも、シルク肝いりの新作『マイケル・ジャクソン ザ・イモータル・ワールドツアー』のときはわずか20人の枠に世界中から8000人もの精鋭たちが応募してきたので、最初全く受かる気がしませんでした。
これだけのすごい踊り手ばかりのなかで、どう目立つか? そこでまず戦略的に人と違うことをしました。みんな自分の位置で踊っているけれど、僕は会場のなかを動き回って、すごい踊り手の近くにいって褒め称える動きや、ユニットとして面白く見えるパフォーマンスを仕掛けた。
いまこのタイミングで少々塩をきかせると抜群に美味しくなる、みたいな料理のさじ加減ってありますよね。そういう塩のひと振りと同じく、全員同じタイミングで踊り出すときにワンテンポ遅らせて始めたり、みんなとは違うスピード感の動きで表現にアクセントを効かせたりもしました。