『日月神示』伝説の真相
そもそも『日月神示』の予言なるものは当たっているのだろうか。
岡本天明の妻だった岡本三典(1917~2009)の兄、高木猛雄中佐(当時)について次のエピソードが残されている。
「終戦間際のこと、高木中佐は『日月神示』を清書して、三笠宮御殿に殿下を訪ねた。御殿は五月の空襲で消失し、防空壕の上にテーブルを置き、そこで対面となった。高木中佐は、三笠宮殿下に“日本はいまだ負けない”と興奮しながら説いて聴かせた。
日本が負けない証拠に、今このような神示が降りていると、三笠宮殿下に話し込む高木中佐の勢いで、テーブルクロスがずり落ちた(※3)」
つまり、高木中佐は『日月神示』が敗戦の予言だとは考えていなかったのである。実際、戦時中に出された『日月神示』の予言は日本軍が苦戦の末に逆転勝利するという内容だ。それが敗戦の予言と解釈されるようになったのは、まさに敗北という事実をつきつけられた結果なのである。ちなみに高木中佐は終戦後、自宅で『日月神示』の神を祀るのをやめてしまったという。
2020年前後が世の立替えの時期という説の根拠は『日月神示』に「子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は火と水ざぞ」(第8巻第16帖)など子年の前後に立替えが起きるという記述があるからだ。子年は12年ごとにめぐってくるのだから、解釈する側はその子年を任意にあてることができる。
では、実際にはその子年はいつに想定されていたか。実はこれは神示そのものに明記されていた。それはまさに最近、コロナ禍の予言と解釈されているのと同じ神示である。
「今年は神界元の年ぞ。◎始めの年と申せよ。一二三、三四五、五六七ぞ、五の年は子の年ざぞよ。取り違いせんように」(第7巻第2帖)
この神示が書かれたのは、1944年12月2日であった。1944年を元として、それから数えて5年目(五の年)は1948年の子年にあたる。単純に考えれば、この「子の年」は1948年以外にありえない。それが無視されているのは、誰も、1948年を「真中にして前後十年」の間に日本が逆転勝利したというこじつけができなかったからである。要は、現実の歴史は戦時中の『日月神示』が示した通りに進行しなかった。
そこで後世の神示研究者たちはこの「予言」を未来に関するものとみなし、一時の敗戦はあってもいつかは日本がなんらかの形で勝利すると信じることで、予言書(※5)としての『日月神示』の延命を図ってきたというだけの話である。
ちなみに「五六七」を「ミロク」と読むのは、天上で修行中の弥勒菩薩が56億7000万年後に弥勒仏として下生するという仏教の教説と、ミロクの当て字・三六九と五六七はどちらも合計すると同じ18になるというこじつけによるもので、一部の神道系新興宗教でよく見られるものである。何にしてもこの予言は、2020年ともコロナウイルスとも関わるものではない。