危機に瀕する「脱北支援」が契機
私の情勢報告が終わると、李氏が口を開いた。話は民団の「赤化統一」を阻止してほしいというものではなく、李氏が監督する民団の傘下機関「脱北者支援民団センター」が、河指導部によって廃止される恐れがある、というものだった。
「脱北者支援民団センター」は、03年6月、北朝鮮を逃れて日本に入国した元在日の人々とその家族らを人道的な立場から受け入れ、国内定着に向けて住居や生活費、職業紹介などで支援することを目的に設置された。当時は、引き受けた脱北者も約100名に上っていた。それだけに河氏がセンターの一時閉鎖を決めた目的は不明であり、民団の内外に波紋を広げていた。
北朝鮮は、国連等の国際社会で食糧事情や政治犯収容所の運営、公開処刑など人権状況が問題視されることを著しく嫌う。それはすなわち、金正日国防委員長への責任追及と同義であり、国家の最高尊厳の権威や体面が国際社会で傷つけられることを意味するからだ。北朝鮮は脱北者を、内部情報を外部に漏らす元凶であると位置づけていた。河団長のセンター閉鎖は、北朝鮮・朝鮮総聯側の意向を唯々諾々と受け入れ、人権問題への関与を放擲(ほうてき)することに他ならず、日本人と同じ民主主義的価値観を有する民団の人々にとっては、国際社会への背信と映ったことだろう。
李氏は、「脱北者とその家族、北朝鮮からの脱出に関与した組織や個人の特定につながる情報が北朝鮮側に筒抜けになる。最悪の場合、脱北者が北朝鮮に連れ戻されたり、帰還を命じられたりする可能性がある」と切々と訴えた。
脱北者をめぐっては03年、小泉純一郎政権が、《(家族らから支援を受けられないような場合に)自立した生活を送ることができる環境を早期に整えることができるよう、政府として必要な対応を行ってきている》と表明しており、日本政府としても人道上の立場から無関心というわけにはいかなかった。
李氏は、センターの業務中断は、脱北者の「人身保護」の観点から大きな問題であり、完全に閉鎖されれば、民団がケアを引き受けている脱北者の身の安全も守れなくなるなど、日本政府の政策にも影響するのではないか、という危機感を強調した。
これに木山議員も応じ、従前の政府方針に合致するものだとして、人道的な観点から警察が関与できるのではないかと漆間長官に対応を要望した。
北朝鮮は、自国からの自由な出国を認めず、脱北行為を犯罪と見なしている。センターの閉鎖と脱北者らの個人情報は、朝鮮総聯に対する河執行部下の民団からの「和解・和合」の手土産として、さぞかし歓迎されることになるのだろう。
脱北をめぐっては2000年代初めごろから、弾圧や食糧難など人道危機から逃れるだけでなく、経済的な目的での脱北者の存在も目立つようになっていた。中国には、一時退避するシェルターを提供する活動家や事業も出現し、東南アジアルートでの脱出経路も確立。元在日朝鮮人とその家族らの安全確保については、警察も一定程度、関与すべき段階でもあった。
そうした時代的な背景もあり、李氏の相談を警察庁としても引き取り、窓口は外事課長である私が直接、担当することになった。
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「外事警察秘録」の全文は、「文藝春秋」2023年4月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
総聯+民団「統一計画」