戦後を代表する映画スター・高倉健さんが83歳で亡くなって8年。パートナーとして17年間ともに歩み、養女として最期を看取った小田貴月(たか)さんは、この春、新著『高倉健、最後の季節。』を上梓しました。貴月さんが初めて素顔を明かし、出会いから最期までを語ったインタビューを、「週刊文春WOMAN」2023春号より抜粋して紹介します。
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17年の歩みを中心に綴った闘病記
――高倉健さんが旅立たれて8年。前作『高倉健、その愛。』の刊行から3年半ほどが経ちました。今回、『高倉健、最後の季節。』で亡くなるまでの日々を綴ろうと決めたのはなぜですか。
小田 高倉が亡くなる2年ほど前に私に言ったのが「僕のこと、書き残してね」という言葉です。
じつは『その愛。』のときにも、編集者の方からはできれば闘病生活のことに詳しく触れてほしいというご依頼がありました。でも、当時はまだ記憶があまりに生々しく、理性的に言葉を紡ぐことができませんと伝え、寄り添っていた17年の歩みを中心に綴りました。ただ、闘病記については、やり残した「宿題」としてずっと頭の片隅に置かれていました。
高倉は、「僕は、神様じゃないよ。いいよいいよと、過ごしてきたわけじゃない。怒りたい時は怒るし、切ない時は落ち込むでしょ」と、いつも言っていました。そんな人間・高倉健、本名の小田剛一がどう生ききったのかを書けるのは、それを間近で体感した私の役目、そして責任に感じました。
実は3回家出したことが
――海外のホテルを紹介する番組のディレクターやライターをしていた貴月さんが、香港のレストランを取材中に、客として来店した健さんと居合わせたのが1996年。健さんが66歳、貴月さんが33歳のときです。翌年からは仕事を辞めて一緒に暮らすようになり、まさに黒子として、数人の関係者以外には知られることなく、17年間支えました。一緒に暮らすにあたって、仕事を辞めてほしいとお話があったんですか。