アカハラで有名な教授のイジメの対象に
3年の後期からゼミが始まった。厳しい研究室で毎日遅くまで勉強し、朝5時起き、帰りは 22時という毎日。帰宅してから父親の介護をして、暴言を吐かれ、そして休日は午前中から風俗勤めである。
「3年の12月。研究室に大きい窓があって、衝動的だったけど、そこから飛び降りちゃったんです。ゼミの先生はアカハラ(アカデミックハラスメント)で有名な教授で、教えられてないことをやれって怒鳴られて、できませんっていったら、ダメな人間だって。それからイジメの対象になって、みんながいる前であいつはダメな奴、あいつは無能みたいな扱いでした。大学では教授から、家では父親から罵られ続けておかしくなっちゃったんです」
課題の発表があった。おそるおそる教壇に立って、長い時間かけて準備した課題をプレゼンした。腕組みしていた教授は、「無能な女の話を聞かされて耳が腐るわ。ははは」みたいなことをいって、プレゼン資料は破り捨てられた。学生もみんな教授につられて笑っていた。
精神科で適応障害と診断され、大学を半年休学
「父親にダメな奴、ダメな奴っていわれて、教壇に立って教授がケラケラ笑っていて、同じ研究室の人たちも笑っていて ―私、なんか生きてちゃダメなのかなって。死んでもいいかなって。突発的に思った。それで窓を普通にスッとあけて、飛び降りました。2階だったのでケガで済んだけど、あのときは本気で死ぬつもりだったから危なかったです」
学内での飛び降り自殺未遂は大問題になった。教授のアカハラが明るみになり、厳重注意処分になった。愛菜さんは精神科を受診、適応障害と診断がされた。それから半年大学を休学となって留年が決まった。
「自殺未遂は大学から親にも連絡があって、そこで父親がやっと私のシンドさに気づいてくれた。回復には時間がかかりました。休学して大学に行くのをやめて、父親の介護もやめて、風俗だけにしたんです。それまでは大学に行くたびに吐き気とか涙が止まらなかったけど、それもなくなった」
休んでいる間、風俗にたくさん出勤して稼いだ。お金の心配もなくなった。休学してすべてのストレスの原因から距離を置き、思い切って風俗をしたことで楽になった。
「風俗をやったからお金の心配することなく、思いっ切り休むことができた。感謝していますよ」
時間の余裕もできた。コロナ禍のなかで就活もしている。理系の就職の実績がいい大学である。来年、希望業種の大手企業に就職する予定だ。