今はどうか知らないが、私が杉並区立和田中学校に赴任した20年前でも、生徒のお仕置き部屋になっている場所に黒いヘアスプレーが常備してあり、夏休み明けの始業式や入学式、卒業式などに金や茶色に染めてきちゃった生徒の髪をその場で黒く戻すために使われていた。公式行事には髪を染めた生徒は参加させない、というルールがあったからだ。
建前としては、(1)経済的なこと、(2)勉学への集中優先、(3)風紀管理の都合、が理由とされていた。
まず、髪を染めるにはお金がかかるし、パーマも同様だ。とくに公立の学校には、経済的に恵まれない子(7人に1人といわれる/一人親の貧困率は5割)が不利にならないようにという配慮がある。大事な学校の美徳である。
校則をゆるめて学校が荒れるのを恐れる教師たち
次に、ファッションなどの日常的なおシャレに、中高生はあまり気を遣ってほしくないというメッセージだ。10代の思春期には「見た目がすべて」というくらい、過剰に意識が「自分が他者からどう見えるか、どう思われているか」に向かうのは承知の上だが、先生の言い分としては、「本来の目的は勉強」だからそこはグッと堪えて、というわけだ。
ベテランの先生はとくに、かつて自由度を上げたせいでの苦い経験を憶えている。学校が荒れた校内暴力の時代だ。当時は、週末に教室のガラスが全部割られたり、廊下をバイクが走り回る事件も起きた。髪型はリーゼント、ズボンはぼんたん(ぶかぶかのズボンの尻ばき)、学ランは裾を長くしたチョーランで、中には学ランの内側を紫にして刺繡を施すヤンチャ者もいた。
校則をゆるめれば、あの頃に戻ってしまうと恐れているのだ。
しかし、本当にそうだろうか。
ダイバーシティ(多様性のある社会)が叫ばれ、インクルーシブ教育(障がいのある人とない人がともに学ぶ仕組み)が推進され、校内でもLGBTQの存在を認める中で、もはや違いを認めず「みんな一緒」に揃えるのは、さすがに時代錯誤ではないか。
衣服と髪型は生徒自身の自由意思にゆだねてもいいのでは
とりわけ、「ツーブロック禁止」は意味不明だ。何がいけないのか、理由がわからない。
私自身、2022年度に山梨県知事と千葉県知事の特別顧問として授業を行ない、その前後で現場の教員と意見交換もしたが、「ツーブロック禁止」については、禁止している学校の教員でさえ明確な理由を挙げられなかった。ちなみに、日本が誇る大作曲家・坂本龍一氏(故人)はツーブロックで通したことで知られている。
他にも靴下の色指定、スカートの長さ(膝下何センチとか)、オーバーコート禁止などの校則がある。むしろそんな校則のせいで、生徒たちは学校にシラケて教員をなめてしまうのだ。制服があるかないかにもよるが、衣服と髪型については校則による禁止を解き、生徒自身の自由意思にゆだねてもいいのではないだろうか。お互いの意思を尊重し合うルールが、ウソくさくないコミュニケーションを生むからだ。