小学校・中学校の不登校児童生徒数は、2021年度で約24.5万人となった。前年度に比べると、約5万人増の大幅な増え方である。これに不登校状態の高校生を加えれば、軽く30万人を超えるだろう。「ウソくさい」学校に息づまる思いをしているの子どもたちは、もっと多いのではないだろうか。
ここでは、教育改革実践家の藤原和博氏が、教育現場の理不尽な実態を綴った『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・再編集してお届けする。(全2回の2回目/1回目から続く)
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不登校やいじめを隠蔽する体質
教員の事務仕事が激務なのは、政治家の意図を受けた文科省と都道府県や市区町村の教育委員会から、やるべき「レッテル付きの教育」が三重に降りてくるからだ。
教務と事務だけではない。実務もちっとも減らない。学習範囲の拡大に加えて、生活指導でもやらなければならないことが多岐にわたる。いじめもあれば、不登校も暴力行為も、当たり前のように日々生じてくるからだ。
児童生徒が多様化し、家庭背景が複雑化し、家族や友達との人間関係の変化が激しくなる成熟社会では、それまでのように対処も一筋縄ではいかない。離婚や虐待といった家庭内の問題も増えている。それが、いじめや不登校にも影響する。
要するに、いじめや不登校という問題は、校内ばかりでなく社会課題が背景にあるということだ。社会的な問題があって、それが学校という最も弱く、最も流動的な場に現れるのである。現れやすい場があることは、その問題が完全に隠されてしまうよりむしろ、いいことかもしれない。学校とはそれだけライブな場だという認識を皆で持つ必要がある。
生徒の不登校を自らの指導力のせいだと反省する教員も
事実、児童虐待の発見は、生徒の怪我やあざ、あるいは急な成績の落ち込み、態度の微妙な変化に教員が気づくことから導かれることが多い。和田中在任中にも、生徒の膝の切り傷や首の周りのあざから、私自身がポラロイド写真を撮って児童相談所に通報したケースがあった。母親の精神不安定から父親ではない男性が家庭に入り込んでいたケースでは、両者を呼び出してタクシーで精神科に連れていったこともあったし、警察に連絡して娘の一時保護を願い出たこともあった。学校は公安調査の機関ではないが、一種の社会的アラーム(警報装置)の役割も果たしているのだ。