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動画授業を軽視する時代錯誤

 担任ガチャがあること。この、当たるか当たらないかの運不運を減らすためには、教室での授業に、大幅にオンライン動画を利用することが有効だ。

 コロナ下で、日本中の先生が自分の授業を動画サイトにアップすることが常態化した。であれば、本当は誰の授業を観てもいいはずなのだ。極端に言えば、東京の都立高に入学した生徒は、都立高で教えるすべての先生を味方につけることが可能である。

 例えば、中野区にある都立富士高校に入学した生徒は、英語については、通常1年生の担任である同校のA先生の指導に固定される。だがもしも、都立高すべての教員が単元ごとの授業をオンライン動画にしているのであれば、富士高校にいながらにして、動画で日比谷高校や西高校の英語の先生の授業を受けることだってできるはずだ。

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 これが、のちに述べる「メガ都立構想」だ。

 生の授業の方がオンライン動画より優れていると決めつける輩もいるが、それは間違いだ。もちろん、ナマの迫力が勝る場合もある。一対一の個別指導が最強で、少人数教育を金科玉条のごとく信奉する教育関係者もいる。がしかし、そうであるなら東進ハイスクールの林修先生が、大量の生徒を動画で相手にする東進衛星予備校で教えているのをどう説明するのだろうか。スタディサプリの“英語教育界の革命児〞関正生先生も同様だ。

オンライン教育は「できる子」と「できない子」の格差を拡大する

 もっと言えば、オンライン教育を主な手段とするスタンフォード・オンラインハイスクール(世界30カ国から900人を集める中高一貫校/2006年開校)が全米トップの進学校になっていることや、大学についてもミネルバ大学(全授業をオンラインで行ない、都市を移動しながら学ぶ全寮制の大学/2014年開校)の隆盛を説明できないだろう。

 オンライン授業を軽視するのは時代錯誤も甚だしい。

 何しろ、生の授業は一度きりだ。生徒が疲れて集中力が切れたり、ちょっとうたた寝してしまった部分は聞き逃される。しかし動画なら、繰り返し観られるし止められる。若者がYouTubeを1.75倍や2倍速で観るように、わかっているところは飛ばし気味に、新しいところはゆっくり繰り返して視聴することもできる。能動的に参加できるのだ。

 ただし、オンライン学習でどんどん自律的に学習し、放っておいても先に進んでいけるのは、小学校時代までに上手に学習習慣を身につけられた偏差値55~60以上の生徒になるだろう。だから、オンラインで動画をただただ流しっぱなしにして「さあ、学びなさい」では教育格差は開くばかりだ。この点は大事なのではっきり指摘しておくが、オンライン教育は基本的に「できる子」と「できない子」の格差を拡大する。習熟スピードの差を加速してしまうからだ。これをどう修正するかも、のちに述べる。