「猫背→姿勢が悪い→態度が良くない」の謎理論
試験を一通り終えて、半泣きで更衣室から出てきた次男は「先生に試験を受けさせてもらえなかった」と家内に訴えたようです。帰宅してもふてくされる次男、困惑する家内が私に報告するに、試験を受けるときの姿勢が悪くて背泳ぎのテストに参加させてもらえなかったと言うんですよ。
ここで45年間猫背一筋で生きてきた私の怒りが爆発するわけです。おう、猫ちゃんもびっくりするほどの猫背でなで肩で頑張ってきましたとも。子供のころ、やはり「授業中の姿勢が悪い」から「授業を受ける態度が良くない」ので「廊下に立っていろ」という謎の教師理論で理不尽な仕打ちを受けていたのがフラッシュバックして、猫背が見事に遺伝したであろう次男の受けた不条理を想像して、マジ怒りなんですよね。どういう理屈なんだ。
勤務態度と能力は関係あるのか
猫背というのは怖ろしいもので、自宅に帰るべく官邸横の溜池山王の交差点を歩いていると頻繁に警察官に止められて職務質問を受けます。近所に実家があるだけなんですけど。野良猫が背広を着て歩いているとでも思われているのでしょうか。ちゃんと税金払ってるぞ。でも確かに、姿勢が悪いと態度が良くないと思われるのは世間一般に共通であるらしいのです。
思うに、人を判断するときに「態度の良し悪しで考える」というのは、人間の能力や意欲といった内面は態度に出るものだという、日本社会独特の考え方なんじゃないかと感じるのです。それは、猫背の問題だけでなく、遅刻をしない、他の人が働いているあいだは先に帰らないといった勤務態度に関する評価が、本人の実際の能力や努力、あるいは出した成果と無関係に下され、能力のある人がさっと仕事を終えて帰るのを見た能無しが残業しながら「あいつだけ先に帰りやがって」という身の程知らずの不満を募らせるのと同義ではないかと思うのです。
次男の場合は「背泳ぎを開始するときの壁キックの姿勢が悪い」と怒られた。泳力とは無関係のことで試験を受けられなかったというのは、せっかく芽生えた水泳への情熱が先生の言葉や指導ひとつで台無しになりかねない由々しい問題です。おそらくは、その先生もそういう指導を受けてきたり、あるいは性格的に形式を重んじる御仁なのかもしれませんが、それによって意欲を摘み取られた側は「先生の当たり外れ」という漠然とした概念で話を済ませるわけにもいきません。夕食中、普段は手荒な遊び方を強要する長男も実に見事な忖度を発揮して、悲しげな顔をしている次男をなだめ、三男は「やる気が無くなると人間終わりだよ」と4歳とは思えない見事な煽りで次男の気持ちを奮い立たせようとします。
それもこれも、わたくし山本一郎の猫背という偉大なる才能がうっかり遺伝してしまったという根本原因があり、次男の直面した苦難が、私の人生に学生時代からずっと横たわってきた「態度が悪い」という不当な評価を彷彿させるものであることは、次男にはなかなか説明ができないでおります。