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弦巻氏が北海道に駆けつけると、相好を崩した渡辺はさっそくススキノのネオン街に繰り出した。1軒につき約5分という猛スピードで行きつけのクラブをハシゴしていくと、ある店で封筒を持った目つきの悪い男が待ち構えていた。
「先生!」
渡辺の顔が思わずひきつった。弦巻氏が振り返る。
「なんでも、先生の原稿をいまや遅しと待ち構えている文藝春秋の編集者だというんですね。僕は先生の仕事を邪魔するおかしな将棋友達ということで編集者たちから警戒されていましたよ。それでも、仕事より将棋優先は最後まで変わりませんでした」
弦巻氏はあるとき「影響を受けた作品」について渡辺に質問したことがあるという。その答えは「今日、ママンが死んだ」という書き出しで始まる、アルベール・カミュの『異邦人』だった。
「人間存在の不条理を描いた名作です。医師の道を捨てて作家になった渡辺先生は、どこか不完全な人間存在を愛するところがあった。僕が先生とウマが合ったのは、僕が欠点だらけの人間だったからかもしれません」
「団先生が好きだったのは、将棋しか取り柄がないようなタイプ」
「SMの巨匠」と呼ばれた作家・団鬼六も、弦巻氏と深い親交を持つ作家であった。「新宿の殺し屋」と呼ばれた伝説の将棋アマチュア強豪・小池重明の人生を描いた『真剣師 小池重明』(幻冬舎アウトロー文庫)は屈指の名作と評価されている。
「団先生が好きだったのは、小池さんのような社会不適合者でした。将棋しか取り柄がないようなタイプが大好きで、自分の財産をすべて投げうってでも、際限なく彼らの面倒を見ていました」