半世紀にわたり将棋界の撮影を続けてきた写真家の弦巻勝氏。将棋の世界に魅了され、棋士たちをこよなく愛した、いまは亡き文壇の大御所たちとの深い交流について語る。

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 文壇と将棋の関係性を紐解くと、そこには長く濃密な歴史がある。

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 文藝春秋の創業者、菊池寛が勤務時間中の将棋を社員に許可、推奨していたのは有名な話だが、他にも幸田露伴、井伏鱒二、太宰治、坂口安吾、柴田錬三郎、山口瞳といったそうそうたる作家たちが将棋を愛し、そこで知り得た勝負の世界を作品にも反映させている。

『失楽園』や『愛の流刑地』など、数多くのベストセラー作品で知られる作家・渡辺淳一もまた、将棋をこよなく愛した作家のひとりだった。

左が渡辺淳一氏、羽生善治氏と ©弦巻勝

 弦巻勝氏が語る。

「僕が淳一先生と会ったのは1970年代前半、『週刊ポスト』のカメラマン時代のことでした。当時、直木賞を受賞したばかりの先生は僕と同じ鷺宮に住んでいたことから、ときどき自宅に呼ばれ、将棋を指す関係になったのです」

深夜に仕事場を訪問し、朝まで徹夜将棋

 当時、すでに人気作家となっていた渡辺は原稿の締め切りに追われる生活であったものの、どんなに切迫した状況のなかでも、将棋の時間を削ることはなかったという。

渡辺淳一氏の執筆風景 ©弦巻勝

「1局1000円の真剣将棋で、最初は先生の方がかなり分が良かった。ところが当時は僕も若くて、まだ将棋の伸びしろがあったんでしょう。だんだん互角になってきて、それが先生の勝負熱に火をつけてしまった。深夜に仕事場を訪問し、朝まで徹夜将棋、なんていうことを週に2回ほどやっていた時期もありました」

 本格的に小説の仕事が忙しくなると、渡辺は故郷の北海道に飛び、そこで「缶詰め」にされて編集者監視のもと、原稿を書くことがあった。

 だが、それでも将棋が指したくてたまらない。そんなとき、弦巻氏にこんな電話がかかってきたという。

「弦巻君、北海道に来てくれ。費用は全部出す」