どうでしょう、わかりますか? 私はこれを聞いたとき、何がいけなかったのかさっぱりわからず、彼に同情的な気持ちすら抱きました。しかし彼女の話を聞くと、見方がガラッと変わりました。
まず大きかったのは服装で、行き先を知らなかった彼女は、誕生日のデートだからと思ってフェミニンな服とヒールが高めの靴に着替えて彼の車に乗ったそうです。
しかし、広い園内を歩きまわり、アトラクションでの並び時間も長くなるディズニーランドでは、ハイヒールよりも明らかにスニーカーのほうが向いています。また彼女としては、気温の変化や紫外線に対応できるような服装で臨みたかったという気持ちもあったようです。さらには、せっかく大好きなディズニーランドへ行くのだから、ルートやタイムスケジュール、ご飯をどこで食べるかなど、入念な準備もしておきたかったとか。そういう思いが複雑に絡まりあった結果だと思うと、腹を立てるのももっともだなと思い直しました。
「想像力の欠如」がもたらす悲劇を防ぐためには
話があちこちに広がってしまいましたが、これまでの話は以下のようにまとめることができると思います。
(1)悪気がなくても、相手を嫌な気持ちにさせてしまうことは往々にしてある
(2)そのほとんどは「想像力の欠如」によって生じている
(3)こと女性の身体に関しては、想像力の母胎となる「知識」から不足している
こう考えると土台にあるのは知識不足ということになりますが、では、その知識とは一体なんなのか。これには2種類あると考えていて、ひとつは「科学的な知識」、もうひとつは「相手に関する知識」です。
生理のメカニズムで考えてみる
ふたつの違いについて、生理を例に考えてみます。『月経のはなし』(武谷雄二著、中公新書)という本によれば、月経とは「妊娠の準備状態を作り出すために起こる生理現象」だと言います(それゆえ、婉曲表現として「生理」という名称が用いられているそうです)。まず脳から「卵を作れ」という指令が出て、それを受信した卵巣で実際に卵が作られる。そして今度は、卵巣から子宮に「卵を置くためのベッドを作れ」という指令が出て、子宮内膜という細胞のベッドが生成される。これがあるタイミングまでどんどん厚みを増していくそうです。
卵は成熟すると卵巣を飛び出し、子宮へのパイプである卵管へと移動します。ここで精子と出会えれば、「受精卵」となって子宮内膜に降り立ちます。これが「着床」と呼ばれる現象です。ところが、受精卵ができなかった場合、あるいは受精卵がうまく着床できなかった場合、ふかふかに厚みを増したベッドを身体が「不要」と見なし、子宮内膜は体外へ排出されることになります。これが月経と呼ばれる現象で、このサイクルが周期的にくり返されていきます。